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茨城県県南生涯学習センター【天章堂講座】②
【2013/01/01 19:38】 エッセイ
【天章堂講座】登場人物の概略②

弘道館24.10.5


前回に引き続き、書き連ねます。今回は、徳川慶喜と勝海舟の因縁浅からぬ二人から書き起こします。

第9回 徳川慶喜と勝海舟(将軍後見人時代と15代将軍の苦悩、幕府終焉の立役者、勝海舟)。
文久二年、安政年間に将軍後継者として有力視された一橋慶喜は、薩摩や朝廷の建言を容れて「将軍後見職」につく。ほぼ時を同じくして越前藩主の松平慶永は「政治総裁職」に就任し、政局をリードすることになるが尊王攘夷の嵐は激しさを増し、朝廷の幕府への容喙はさらに混迷を深める。十五代将軍を継承した慶應年間は、徳川政権が維持困難の状態であった。二度にわたる長州征伐は諸藩の背反を招き、やがて統一政権構想の台頭によって「大政奉還」への道をたどる。薩長の討幕路線とこの土佐藩の建言は、謀略によって潰え、戊辰戦争へと展開し、やがて敗戦を重ねる中で朝敵の汚名を着せられた慶喜は謹慎となって、政治の表舞台から後退して行く。この幕府の辿った運命を、平和裏に被害を食い止めて努力するのが勝海舟であった。貧乏旗本として生まれ、蘭学を志したことから海舟の運命は大きく展開。
ペリーの来航を期に外交特権を放棄した、阿部老中の「対策意見」の求めに応じた勝海舟の建言は幕閣の承認する所となり、出世への道をひた走る。海軍の創設は勝の功績になるが、徳川政権の終焉に当たり「江戸城無血開城」を実現。新政府誕生以後は、旧幕臣への援助、さらには慶喜との恩讐を超えて、慶喜の末子を養子に迎える。最後の将軍の涙を誘った粋な計らいを見せた。
明治を30年以上生きた両者は、「公爵」そして「伯爵」となって徳川政権の幕引き役を演じたに相応しい人生の晩年を迎えることが出来た。

徳川慶喜24.12.14


第11回 西郷隆盛と大村益次郎(幕末維新の軍師二人、西郷の人望と大村の合理主義対比)。
名君の誉れ高い「島津斉彬」にその才能を見出された西郷隆盛は、斉彬への忠誠と相俟って「薩摩藩」を代表する志士として江戸や京都の重要な政治課題に取り組む。
天璋院篤姫を近衛家養女にし、さらに十三代将軍徳川家定の御台所として、大奥への使命をもたせる。一橋慶喜を将軍にとの斉彬の指示であった。このため安政の大獄では「僧月照」とともに幕府から睨まれ、いわゆる「御尋ね者」として逮捕リストにあがる。斉彬の急死に伴い、薩摩藩の実権は弟久光が握るが、先君への恩義を忘れられず久光と悉く対立、二度の遠島の処分を受けるが、人望厚い西郷待望論に押されて久光もついに折れる。元治元年、禁門の変で軍師として舞い戻った西郷は鮮やかな采配ぶりを披露。以後、戊辰の役までの「幕末のクライマックス」までの活躍はご存知の通り。明治新政府で筆頭の立場ながら、その才能はついに開花せず「廃藩置県」での貢献を最後に、征韓論に敗れて下野してしまう。西南の役での「士族の反乱」で自刃。
一方、長州の村田蔵六(大村益次郎)は、合理主義を身に附け、近代軍隊と最新武器を背景として招聘地の宇和島から舞い戻り、長州藩の救世主となる。第二次長州征伐に勝利し、上野戦争、戊辰の役での軍事官僚としての采配は、西郷隆盛を凌駕し新政府の最高軍事責任者となるが、反政府的な無理解の人達によって斃れる。あとを引き継ぐ山県有朋が明治陸軍の完成者となる。誠に惜しい人材だった。

西郷隆盛25.01.11


第12回 坂本龍馬と中岡慎太郎、(薩長同盟の立役者の土佐藩二人、だがその考え方は異なる)。
「薩長同盟」の実現に尽くした龍馬と中岡。龍馬は薩摩との縁が深く、西郷や小松帯刀等と協力しあうが、中岡は逆に長州とのつながりが深い。この二人がいたからこそ幕末土佐藩が雄藩として飛躍できたとも云える。惜しむらくは、二人がそろって暗殺されてしまったことである。この薩長同盟は、軍事同盟であるが締結時は長州藩の方が圧倒的に辛い立場におかれていた。しかも、文久三年八月の政変、翌年の蛤御門の変で、薩摩は長州をして不利な立場に追い込んで、敵対関係にあった。薩摩への「憤怒・怨恨」は「薩奸会賊」として長州から見れば、許せない思いが募っていた。幕末薩摩の政治的判断が、長州のような多くの人材を失わずに済んだのであった。

坂本龍馬②


第13回、 福澤諭吉と大隈重信、(ライバル早慶戦の創始者は仲睦まじく、共に長崎修業)

二人の活躍の出発点は、ともに「長崎」である。福澤は19歳の時、兄の奨めで「蘭学修行」に旅立ったのである。この時の福澤の胸中は『福翁自伝』に記されている通りである。大坂生まれであるが、幼時にして父親の死に逢い、郷里の中津にもどったが、中津藩の身分制にたいして怨念に近いものを抱いていた。だから『封建門閥は親の仇である』と強い言葉で言い放ったのは誰もが知るところである。以後、江戸に向うも、大坂にいた兄に無断で行くのを思案の末に、訪ねたのが運命を変える。ここで緒方洪庵の「適塾」で蘭学に磨きをかける。それからの福澤の活躍は御存知の通り、幕末に三度の洋行を果たし、明治日本への近代化に尽くした一連の啓蒙活動は在野に在って驚異的とも云えるものだった。一方、大隈は佐賀藩の裕福な家柄に育つ。長崎でフルベッキに学び、「アメリカ独立宣言」を徹底的に研究したことから運命が開ける。福澤も大隈も独立宣言から得たものは計り知れない。明治になって佐賀閥の代表格として、岩倉使節団の出発後の留守政府を牽引する。
福澤との出会いは瞬時に「百年の知己」となり、以後の盟友関係が生涯続くのであり、「慶應義塾大学・早稲田大学」の創立者として大きな遺産を残した。二度の総理大臣を務めて侯爵となり、その姿は早稲田大学の構内に銅像がそびえたつ。

大隈重信26.01.25


第14回、 大久保利通と木戸孝允(幕末の活躍ぶりと明治新政府での両者の異なる立場)。
幕末の難局を生き抜き、明治日本のリーダーとして明治新政府で活躍する両雄となる。薩摩と長州の代表格であるが、二人の功績は共に子孫が「侯爵」としてその功績をたたえる形になる。大久保が政治的判断に勝れているのに対して、明治以降の木戸は幕末の華やかな活躍に比べると精彩を欠いたような印象が持たれる。
岩倉遣欧使節団の副使として、ともに重責をになって洋行するが、二人の関係は微妙に醒めてしまう。仲たがいに近い関係となって帰国時は各々別になる。待ち受けていたのは留守政府の決定した「征韓論」であったが、ここでは両者とも反対して、内政優先策の立場となる。見聞した西欧先進国の実態が、富国強兵、殖産興業の重要性を認識させたのである。維新の三傑と言われた西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允は明治10年、11年に相次いで生涯を閉じる。唯一畳の上で死ねたのは木戸であった。

木戸孝允26.02.01



第15回、 伊藤博文と山県有朋(政治の世界と軍人、内務官僚を牛耳った二人の生き方。)
長州の両雄として明治政界をリードした二人。ともに吉田松陰の「松下村塾」に短期間ながら学ぶが、対照的な反応振りを示す。伊藤が、松陰先生にはそれほどお世話になっていないといえば、反対に山県有朋は生涯の師として尊敬し続けた。
このため、山県は松陰顕彰碑などの揮毫依頼には喜んで応じた。松陰誕生の地に立つ「石碑」は山県の筆になる。一方、伊藤は実は山県のように言えない事情がある。
吉田松陰が「松下村塾」を主宰したのは、実は三代目である。初代が叔父の玉木文之進、二代目が久保五郎左衛門であるが、伊藤は久保の主宰する塾に入ったが、後に「松下村塾の四天王」の一人と言われた「吉田稔麿」に学業がかなわず、常に彼の後塵を拝していた。したがって、松陰主宰の塾でも同窓になり、しかも入塾は吉田稔麿の方が早期に入塾。ここでも学業で後塵を拝したので、このことを表立っていうと自分のプライドに傷がつくのを慮ったといわれる。
陰と陽のイメージがあるが、陽気な伊藤は明治天皇のお気に入りだったのに対し、謹直な山県は明治天皇、つづく大正天皇にも好まれていなかった。

伊藤博文26.02.08


以上が、私の担当する講座の人物概要でした。
しかし、昨年暮れ、ペアで講師をする予定になっていた「加賀谷稔先生」が29日早朝に急逝された。残念。合掌。
そこで、その分を私が担当することになりましたので、順番としては不揃いになりますが、③回目に「ペリーとハリス」、⑦回目に「天璋院篤姫と皇女和宮」、⑩回目に「幕末・維新を彩る女性たち」とのタイトルで「芸者・幾松と津田梅子ほか」を講座に入れます。

幕末維新は、ペリーの「砲艦外交」によって日米和親条約が結ばれ、その条約に基づいて「ハリス」が下田に来日。日本の領土に初めて【星条旗】が翻ります。そして、安政5年に「日米修好通商条約」が締結されます。

長い鎖国が打ち破られましたが、外国との通商条約の何たるかを知らない幕府の全権代表たちは、ハリスの「わな」にまんまとはまります。いわゆる「不平等条約」ですが、この「からくり」を知らない日本人は、明治のほぼ全期間を通じて『条約改正』交渉の為に励まざるを得ませんでした。

<次回につづく>


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この記事に対するコメント
確かにね
【2013/01/03 02:52】 URL | 探偵GOD #USldnCAg [編集]

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