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『吉田松陰精神』を考える
【2013/01/05 23:32】 エッセイ
『留魂録』と「松陰精神」

2013年が明けた。
昨年末に自由民主党の「安倍内閣」が誕生した。
近年では珍しい内閣となった。
与党時代に「体調不良」の名目で投降に近い形での総辞職だったのであるが、3年余りの野党転落から復活だ。
自由民主党の人材はそれほど枯渇していたのか。

江戸末期に陽明学者が元気溌剌とした活躍を見せたのは、幕末・維新期に関心ある者ならすぐに何人かを思い浮かべるに違いない。
それは、寛政の改革を指揮した松平定信が行った「寛政異学の禁」との関連で理解することが望ましい。
伝習録・明治</span>書院


江戸期の学問は「朱子学」を官学とした。
幕末に「陽明学」が台頭したのは、朱子学の保守性・現状維持型の在り方に対して、「社会的な閉塞感打破」の使命を担っていたのである。
元来、陽明学は朱子学の停滞に対しての批判から生誕したという経緯がある。

中国の「南宋時代」に「朱熹」が、それまでの儒学を体系化したのが「朱子学」と呼称されるようになった。
それは中国思想史の中で大変に重要な出来事であり、「偉業」でもあった。
「百家争鳴」と言われるように、古代から延々と続く思想は各々の思想家が「自説」を主張したが、概して人間社会での生き方、考え方を教示した説が多いのが特徴である。
松陰正装画像


陽明学は、一面に於いて「行動に価値を見出そうとする」。
「内なる完全燃焼」や「知行合一」と言った言葉がそれを示している。
「思想」と「信念」を混同してはならないが、吉田松陰の人となりは「思想家」としての紹介がなされるケースが多く、実際には「強固な自己の信念」に基づいた行動が多いのに気付くはずである。
「行動家」としての側面は、多くの「吉田松陰伝記」が語るところであるが、「思想家」としての松陰観に疑問符を投げかけた歴史家も存在したのである。
これは「思想=行動」という方程式が人間の行動様式のすべてではないと謂う所に起因している。
反対に「行動=思想」とはならないことはもっと理解を容易にするかもしれない。
吉田松陰は「言行一致」の人であった。
沢山の「名語」を残した人物であり、そうしてまた意表をついた「行動」をとった人でもあった。

安政三年夏、松陰は「杉家」に幽囚の身であった。
安芸の「勤皇僧」として名を馳せた「宇都宮黙林」との往復書簡において、次のようにいっている。
『若し僕幽囚の身にて死なば、吾れ必ず一人の吾が志を継ぐの士をば後世に残し置くなり・・・・・・』(松陰全集第七巻・443頁)と。

これを松陰の「言行一致」の側面からみると、『留魂録』は正しく松陰の言う「吾が志」の継承を願って、「松下村塾の門下生」に宛てた遺書として解釈できるのである。というよりも、安政三年に書かれた黙林宛の書簡の『実践』であったと考えることが出来る。
留魂録


松下村塾における二年半ほどの教育実践は、「門下生への感化」の期間であったとも云えるのである。
『留魂録』の末尾に記された和歌を、この意味で考えると松陰の考え方に矛盾はない。
「我の志を知るものは、我の死を哀しむことよりも我の志を継いで欲しい」との思いは、刑死の七日ほど前に書かれたとみられる『諸友宛』(「諸友に語ぐる書」(松陰全第八巻・420頁)ともいう)に記述されている通りである。


人間は「死をもっとも恐れるものである」ことは、理性や一般的な感情を超えて「本能的な」感情であると考えられる。
その「死」を目前にして、諄々と門下生に訴える姿をどうに考えればよいのか。
「志を曲げない姿」と捉えるのが自然である。
これこそ「言行一致」そのものであると考えられるのである。
吉田松陰精神なるものが、こうした遺著によって確認できるのは、後世に生きる我々にとって限りなき史料を提供してくれるのである。



松陰精神は、この『留魂録』を涙ながらに讀み、かつ「筆写」した後継者に難局打開に向けて奮起を促した所に価値があるのであって、国難を打破するために、門下生に対して、師自らが「死んでみせた」であった。これ以上の人間教育があろうか。
究極の人間教育と言わねばならない。
それは、第一義的には「門下生」に宛てたメッセージであると同時に、第二義的には「日本人」全体に、「国のために生きること」の何たるかを教示してもいるのである。

長谷川勤講演風景25.1.5


これこそ吉田松陰精神であって、太平洋戦争終結後70年近い平和の続いた日本人の魂に呼びかける意味があると受け止めるべきと考えられるのである。
それゆえに、「吉田松陰研究書」ともいうべき書籍の刊行が、絶え間なく続いている。

今日の日本の姿に警鐘を鳴らし、人間とは?国家とは?の再考を促しているように思うのである。
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