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『偉大なる藩政改革者』・「山田方谷」
【2013/01/27 22:21】 エッセイ
『備中聖人山田方谷』

平成25年1月12日、吉祥寺で「幕末史研究会」の例会があった。今回は幕末の「高梁藩」の財政改革の功労者「山田方谷」のご子孫に当たる「野島透」講師が担当してくれた。この「野島透」氏は「山田方谷」の著作も何冊か出版している。

この野島透氏は現役の財務官僚である。昨年末の総選挙で政権交代が成り、自民党の「安倍政権」の誕生となったのであるが、通常でも翌年度の予算案策定の超多忙な時期であるのに、加えて年末ぎりぎりの総選挙で「政権交代」となったので、当日までの異常な日程の中をやりくりして「講師」を務めて下さった。
冒頭に、異常な業務スケジュールを聞かされ、同情や、感心の思いが参加者に伝わったようだ。50代の前半という「若さ」のなせる業と思いながら拝聴した。

「山田方谷」なる人物は「知る人ぞ知る」大変な功績を挙げた人物であり、加えて有名な「陽明学者」としても著名である。明治を代表する漢学者であり、大正天皇の侍講・宮中顧問官を務めた「三島中州」や長岡藩の家老「河井継之助」等の恩師でもある。この三島中州は「二松學舎大学」の創立者「でもある。備中聖人とも呼ばれ」、吉田松陰とは会う機会がなかったが、松陰の一番弟子である久坂玄瑞は二度備中松山に「山田方谷」を訪問しているとの由。明治維新は「陽明学信奉者」が大いに活躍したという側面もある。このことが明治維新は陽明学が成し遂げたといわれるゆえんでもある。

山田方谷25.1.26


天保・幕末期は殆どの藩が財政の悪化に苦しみ、再建に苦労していた時代でもあった。水野忠邦の「天保の改革」は有名であるが、この時期は、一人幕府に限らず、三百諸侯と俗称されるように殆どの藩が枕を並べたように財政の行き詰まりを来していた。

大藩と呼称される藩は、おしなべて財政再建を果たしたのは教科書レベルで記述されているが、「小藩」は抹殺されてしまう。「山田方谷」の高梁藩は現在の岡山県倉敷市の北方に位置する「小藩」であった。藩主は「板倉勝靜」で田安家の血を引く名門の出である。寛政の改革で有名な松平定信や信州上田の「眞田幸貫」、松平春嶽も田安家の出である。

板倉勝靜25.1.28


むしろ、江戸幕府最後の筆頭老中「板倉勝靜」と言った方が解かり易いかもしれない。通称「備中松山藩」と呼称されるケースが多い。因みに上州安中藩の板倉家は支藩になるが、新島襄を輩出したことからこちらの方が有名になって入るかもしれない。


さて、本論に帰ると山田方谷は藩主からの依頼に応えて立派に財政再建を果たした。勿論、言い知れぬ苦労があったに違いない。いつの世も改革には賛成・反対が鎬を削るのは昔も今も変わらない。しかし、山田方谷の改革に依る財政再建がなければ、藩主の板倉勝靜も徳川幕閣にあって十分な采配、判断が覚束なかったことと思われる。

元来、山田方谷は農民の出身であるが、天賦の才能に言い知れぬ努力が加わって才能を開花させた。人材登用の必要性が叫ばれるのは、危機の時である。社会政治史的にはマルクス史観が指摘する通りに「明治維新」は大略、天保時代の幕開けから、明治20年代の国会開設、教育勅語渙発の期間の一連の変革課程を呼称している。それはそれで間違いではないが、半世紀にわたる変革課程を明治維新とひとくくりにして、多くの国民を納得させるにはそれなりの説明が必要になる。

一般的には最も狭義な意味で解釈して、通常「御一新」と一般の国民が呼称したレベルの「ペリー来航」から「廃藩置県」までと捉えるので差支えない。
そこで、山田方谷が苦心して藩主の期待に応えたのは、天保年間から慶應年間に掛けてであるから明治維新準備期間の時代と云える。
最も有名なのが『理財論』と言って、一言でいえば「大局的見地に立って」の改革である。政治の姿勢を正し、人心をひきしめ、文教を興し、武備をはり、治国の大方針を確立するというのがその大略要旨である。財源がないとばかり言って、この治国の大方針を顧みないのでは「理財の道」も活路が開けないという事である。

三島中州と二松学舎大学25.1.28


当日の野島講師によると、山田方谷の講演は「引っ張りだこ」で引く手あまただという。閉塞感ただよう現代と、徳川末期の世相が似ているようである。
とりわけ、山田方谷の人と業績なりについては大いに学ぶべき「現代との相似性」があるように思われる。
今後、大いに学んでこのブログに書きたいと思う。
『明治10年からの大学ノート』という本がある。良い本なので紹介しておきたい。
「二松學舎小史編集委員会」が編者であり、この二松學舎大学の看板は「漢学」である。
この二松學舎には明治の文豪・夏目漱石も学んでいるのである。
また、日本最古の「藩校」といわれる「閑谷学校」を再興した功績も特筆されてよい。ついでに機関誌『陽明学』も刊行されていることも付記して置きたい。


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