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「安政の大獄」の処罰者達
【2013/02/07 14:06】 エッセイ
安政の大獄処罰者一覧

安政の大獄は、一般的には反幕府政策への行動者の処罰となっているが、それだけではない。すでに朝廷対幕府の対立が原因しているのである。将軍継嗣問題での「一橋派」と「南紀派」の対立と、日米修好通商条約の調印を巡って、前任の老中堀田正睦が勅許奏請したが、差し戻し的な文言での勅諚で実質不可であった。それを井伊直弼が調印後に「宿継報告」という形で朝廷に報告した。

これに怒った朝廷は水戸藩に安政六年八月八日勅諚を下した。同文のものが二日遅れで幕府にも届いたが、水戸への勅諚には雄藩にも知らせよという、異例の文言が加えられていた。これを「戊午の密勅」という。

大政委任されているはずの幕府以外の藩(水戸藩)に勅諚が下るという異例の事態が発生した。これに怒ったのが大老の井伊直弼である。実は、家定は大奥の賛同や、南紀派支持の意見だった。幕府よりも上位に朝廷(天皇)が存在するという、水戸学が絡んだ弾圧であった。条約では「不時登城」をはじめとした反対派大名ーその筆頭が徳川斉昭だったーを根こそぎ処罰、合わせて朝廷の反幕府の考えを持つものもすべて処罰した。大名、公家、公家の家士、勤王論者(志士)、の広範に及んだ処罰の対象は「恐怖政治」となって、峻烈を極めた。とりわけ、水戸に対する弾圧は怨念を込めて処罰した。だから、「桜田門外の変」は、水戸の浪士たちの復讐の側面を持つのである。



安政の大獄


[評定所判決]
切腹  水戸藩家老安島帯刀 48歳
死罪  水戸藩奥祐筆頭取茅根伊予之介 36歳
    水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門 62歳
    元土浦藩士・三条家家来飯泉喜内 55歳
    越前藩士橋本左内 26歳
    儒者頼三樹三郎 35歳
    長州藩士吉田松陰 30歳
松陰正装画像


獄門  水戸藩京都留守居助役鵜飼幸吉(吉左衛門の倅 32歳)
遠島  水戸藩勘定奉行鮎沢伊大夫(安政6年11月、流罪から佐伯藩に終身禁固へ)
    鷹司家緒大夫小林民部(安政6年11月人吉藩終身禁固、翌日獄中病没) 52歳
    大覚寺門跡家士六物空萬(療病院別当)安政6年11月獄中病没) 59歳
    薩摩藩士日下部伊三次の男裕之進(万延元年閏3月3日、獄中病没) 25歳
    旗本阿部四郎五郎家来勝野豊作の男森之助
    水戸藩奥佑筆頭取茅根伊予之介の男熊太郎(3歳に付、15歳まで親類預け)
    奥州安達郡金原田村農八郎
重追放 宇和島藩若年寄吉見長左衛門
中追放 儒者池内大学
    青蓮院宮家士伊丹蔵人
    三条家諸大夫丹羽豊前守
    同     森寺若狭守
    鷹司家家士三国大学
    一条家諸大夫入江雅樂頭
    信州松本の大名主近藤茂左衛門
    儒者藤森廣庵
    常集茨城郡錫高野村文道手跡指南黒沢とき(農新助の妻)
    水戸藩勘定奉行鮎沢伊大夫の男力乃介・大蔵(安政6年12月力乃介4歳・大蔵2歳の為、15歳まで親類預け)
    伊勢一志郡高野村神明社祠官谷対馬
               社人武田近江
所払  画院寄人宇喜多一恵(安政6年11月病没) 65歳
    その男    松庵
    処士蒲市正(元二条家下家士)
洛中洛外・江戸払 一条家緒大夫若松永福
江戸構・紀州領所払 紀州家用達世古格太郎(伊勢松坂の人
永押込 三条家緒大夫森寺因幡守
    御蔵小舎人山科出雲守
    久我家緒大夫春日潜庵(讃岐守)
    元高松藩士長谷川宗右衛門
    その男     速水(万延元年8月、高松獄舎にて病没 26歳)
    土浦藩士大久保要(安政6年12月、土浦獄舎にて病没) 62歳
    薩摩藩士大山綱良
    丹波亀山藩士奥平小太郎(万延元年閏3月、亀山獄舎にて病没) 27歳
押込  百日  近衛家老女村岡(津崎矩子)(安政6年9月押込を免ず)(30日)
    五十日 有栖川宮家家士飯田左馬
    五十日 青蓮院宮家士山田勘解由
    五十日 鷹司家緒大夫高橋権の兵部大輔
    五十日三条家家士富田織部
    五十日下田奉行手付出役大沼又三郎
    三十日旗本曽我権右衛門抱砲術医師飯泉春堂(喜内の養子)
    水戸藩小十人目付組頭大竹儀兵衛
    五十日京都町奉行岡部土佐守家来筧承三
    各五十日旗本阿部四郎五郎家来勝野豊作妻ちか・男保三郎・女ゆう
    三十日鉄砲方井上左大夫組与力藤田忠藏
    百日  掃除頭藤村権右衛門組岩本常助
手鎖  三十日神田小網町一丁目名主伊十郎
    三十日神田久右衛門町町人弥七召使源助
    三十日信州松本の近藤茂左衛門抱え宰領飛脚源右衛門
急度叱 信州山本貞一郎(近藤茂左衛門の弟)の妾とよ・女うめ・同さい
無構  鷹司家家士兼田伊織
    神田三河町町人仁三郎寄子清七
    武州葛飾郡八右衛門新田利益院層行阿
    水戸藩士太宰清右衛門妻せい
    奥州磐前郡住吉村長善院僧知順
    常州茨城郡大野村郷士格横須賀甚右衛門(変名奥田隼人)
    常州行方郡矢畑村農峰十

上記は評定所の判決を受けた主な人物である。その身分別の罪科内訳は以下の通りである。
宮・堂上家廷臣:20人(遠島2、中追放5、所払3、洛中洛外構・江戸払1、永押込3、押込5、無構1)
幕臣:9人(遠島1、押込8)
諸藩士:20人(切腹1、死罪5、獄門1、遠島3、重追放1、中追放2、永押込5、押込1、無構1)
儒者:3人(死罪1、中追放2)
神職:2人(中追放2)
僧侶:2人(無構2)
農商:13人(遠島1、中追放2、江戸構・紀州領所払1、手鎖3、急度叱3、無構3)

井伊直弼24.3.25
上記の他、捕われて監禁中、病没または自殺して処罰を免れたものが六人いる。有名な人 物を挙げると、月照、梅田雲濱、梁川星巌、などである。


[宮・堂上家処罰者]
安政6年2月17日(幕府の内奏による)
慎    青蓮院門跡尊融法親王
同10日  内大臣一条忠香
同10日  権大納言二条斉敬
同5日  議奏・権大納言久我建通
同5日  武家伝奏・前大納言広橋光成
同30日  前武家伝奏・前大納言万里小路正房
同10日  前議奏加勢・権中納言正親町三条実愛

安政6年2月27日(幕府の内奏による)
自分慎  正三位大原重徳

安政6年4月22日、四公の落飾の奏請を聴許し、慎を命ず。(幕府の内奏による)
前関白 鷹司政通 4月27日落飾、法名拙山
前左大臣近衛忠熈 5月3日落飾、法名翠山
前内大臣三条実萬 5月日落飾、法名澹空 4月危篤により慎を解き、6日薨去、58歳

安政6年12月7日(幕府の内奏による)
退隠・永蟄居 青蓮院門跡尊融法親王 同月11日相国桂芳軒に移居、獅子王院と称す。


[大名処罰者]
安政6年8月27日
国許永蟄居 前水戸藩主徳川斉昭(前権大納言)
差 控   水戸藩主徳川慶篤(権中納言)
隠居・慎  一橋家主徳川慶喜(刑部卿)
安政6年8月28日
慎    前老中太田資始(備後守、前掛川藩主)

安政6年9月6日(幕府の内奏による)
隠居   前老中堀田正睦(備中守、佐倉藩主)

安政6年9月10日(幕府の内奏による)
隠居   前老中松平忠固(伊賀守、上田藩主)

安政6年10月11日
慎    前土佐藩主山内容堂(土佐守)同年2月26日、幕府の内命により隠居する。

これは、最初に表示した『安政の大獄』(吉田常吉著・吉川弘文館)からの転用です。 現在刊行されている研究書のなかでは最も秀逸な内容です。

【註】
以上は、公的な処罰であるが、元来「安政の大獄」は、将軍継嗣問題での一橋派人物、さらに日米修好通商条約の無断勅許の責任追及を行うことに拘った人物、即ち「反幕府政策に加担した人物」への処罰であった。
従って、此処の処罰リストには入っていないが、当時の幕臣で有能と評価の高かった人物を、表向きの処罰こそしなかったが、左遷または冷遇という処置で罰したのであった。
岩瀬忠震、大久保一翁、川路聖謨、永井尚志等、解明派と云われた人物が重要な役職から外されたのであった。

井伊直弼は、幕府権力を保持する為に強行したのであったが、時代逆行の暴挙となってしまい、翌年の万延元年三月、水戸藩の浪士達から襲撃され、いわゆる「桜田門の変」で白昼に幕府の大老が落命するという異常事態を招き、以後幕府の威信は低下し続ける。
大政奉還の十年近く前の出来事であった。
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