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『吉田松陰の家系の人・杉道助』
【2013/03/29 22:57】 エッセイ
『杉道助さん』のこと

吉田松陰を陰で支え続けた、兄の「杉民治」さんの孫にあたる「杉道助さん」の『私の履歴書』が収載されている第一巻を購入して読んだ。


松陰と大変仲の良かった兄で、お手本のような兄弟愛に生きた「民治さん」の孫にあたるので、特別な感慨を持って読んだ。
生まれは明治17年であるから、早稲田大学が創立されて二年経過した頃に誕生したことになる。ところが杉道助さんは慶應義塾に入学したのである。
いくつかの会社に在籍(転職)したとの事であるが、やはり晩年の「大阪商工会議所」の会頭が印象強いし、またこの経歴なくしては「私の履歴書」に登場しなかったのではないだろうか。

杉梅太郎


読んでいると、人柄の「おおらかさ」が伝わってくる。時代もそれなりの日本資本主義勃興時代とはいえ、企業内の人間関係も今とははるかに違っていただろうことは、書かれている内容からも十分推測できる。
面白いのは杉家と吉田家の関係に触れている件(くだり)である。
松陰の母「たき」が吉田家に養子に行くことをあまり賛成しなかったようである。
そのわけは、吉田家の当主は歴代で早死にが多くて道助さんの弟が養子に行くことになった時には、内心では反対だったようである。
結果はやはり二十台で若死となってしまった。しかもブラジルで客死とのこと。

 
慶應大学25.3.29 

明治43年に結婚したそうだが、仲人が有名な武藤山治さんである。
私の父親が、道助さんが結婚した年に誕生しているから、私の祖父の年代に近いのだろうと勝手に想像をめぐらせている。
このご縁から杉道助さんは「仲人の武藤山治」の選挙参謀(本人の記述では幹事長)を務めたとのことである。
しかし、当時のこととて選挙違反で拘引されて、二か月未決囚?生活の体験をしたとのこと。
しかも拘留中の待遇?がよかったようで、予審判事が読書のすすめをしてくれ、資本論やマルクス、エンゲルスの著書を熱心に読んだとのことのことである。
本人は、学生時代を二度やったようなものだとの思いだったと述懐している。
この選挙は大正13年のことである。

吉田松陰25.11.09


地下の松陰は、この末裔の生き方をどんな思いで見ていただろうか。
松陰は尊王精神の権化に近い人物であったから、社会主義思想は真っ向から拒否したに違いない。
ある雑誌で杉道助さんの写真を見たことがある。
多分「大船観音」を背にして映っていたと思う。
だから鎌倉に在住していたのではないかと想像している。
 
もし、これが事実なら、私も昭和37年から39年まで同じ大船に在住していたから、不思議なご縁 があったことになる。

因みに吉田家の現在の当主は鎌倉から遠くないところに在住しているが、個人情報のことがあるので詳細は書けない。

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