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吉田松陰の「五回の獄中生活経験」①
【2013/05/04 00:03】 エッセイ
「吉田松陰の獄中生活」①

吉田松陰は、その29年2か月という短い生涯で5回も牢獄に収監されるという、波瀾万丈にして、数奇なる生涯を送った。

大抵の人は、この様な運命に遭遇したら人生を諦めてしまうだろう。然し、「不屈の人」吉田松陰は、こうしたことにめげずに自分の信念を貫いたのである。この限りでは、将に超人的とも云える精神力の持ち主であった。
吉田松陰25.11.09


この他に、「謹慎生活」も経験しており、また人口に膾炙した「松下村塾の主宰者」としての松陰は、実は幽囚の身で塾生を指導し、驚異的な人物育成の手腕を発揮したのである。
明治維新の夜明けを見ることなく、国のために散華した第一級の人物達が沢山いたのである。久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一の「松下村塾の四天王」と云われた逸材は、遂に明治の御代を迎える前に、黄泉の国に旅立ってしまった。「師としての吉田松陰」の後を追うごとき、人生だったのである。死後の追贈のことは、本人たちは当然知らないわけである。四位(正・従)の官位を悉くが、明治20年代に追贈されている。のみならず、松陰の父親、兄も同様に追贈されているから吉田松陰という人物の存在価値が如何なるものであったかが想像できよう。
山縣有朋正装


そして、運よく明治に生きながらえた人物は、半数近い人物が新時代のリーダーとして大活躍したのである。奇跡の教育成果と言ってよいだろう。

吉田松陰研究の第一人者である「海原徹」先生は、松陰に指導された人物の栄達の多数をもって、松陰の教育が成功したと早合点することを戒める意味のことを言っている。 それはそれで一つの見識であるが、そうかと言って不成功と判断することは勿論できまい。
大切なことは、指導者または教育者としての吉田松陰が、言行一致の人であったことである。これは何を意味するか? 「私心」のない誠実な人間にして、初めて可能だったということである。「至誠」を自らの人生の指針としたこと、そうしてそれを実践した人物にして初めて可能だったということは、力説したいのである。


さて、話題がそれてしまったが、掲題の「獄中生活」における吉田松陰の生き方、または人生態度は誠に称賛に値するものである。
25.5.4「平滑獄跡」

第一回目の入獄は、嘉永7年3月の下田蹈海に失敗した直後に自首して取り調べを受ける期間中に収監された時期の3月28日から4月10日までの凡そ2週間である。収監された牢屋は「平滑の獄」である。此の間、1畳に2人を収監する窮屈な状況の中で、読書、そして獄の前の通行人に対して、時勢を語り、かつ自分の志を語った。(回顧録)

第二回目は、これの延長で江戸送りされ「伝馬牢」に収監された期間である。これも回顧録によると4月15日から9月18日までの凡そ5か月。此の間、幕府の奉行からの取り調べを受けるのである。驚くのは、牢屋には牢屋の「掟」や「階級」があり、新入りの松陰は一定の儀式と「金子(きんす)」を牢名主から要求されるのである。取り調べに対しては、師の佐久間象山をかばう意味と、藩に迷惑を掛けまいとの配慮をしながらも、赤裸々に信ずるところを開陳し、取調官をして感心させてしまうのである。この「赤心」が通じて、緩刑の判断となって「国元蟄居」の裁決となる。
25.5.4「伝馬牢」


第三回目の牢獄は、幕府の国元蟄居命令に従い、萩に送還された時である。長州藩は幕府を慮ってか蟄居でなく「藩獄・野山獄」へ収監してしまう。安政元年10月24日である。以後、免獄となる翌年12月15日までの凡そ14ヶ月。此の間、に多くの著述や読書・思索。そして獄中勉強会など、囚人の扱いを受けているのかと疑うような活発な活動を行う。
『野山獄読書記』によると、此の間、実に618冊もの本を読んだ。和綴じ本とはいえ、信じられない読書量である。
野山獄24.3.23


長くなるので、残りの二回は次回に書きますが、驚かされるのは政治犯ということもあってのことだろうが、松陰の精神・考え方には「犯罪者」意識がないことである。
日本の救済のための行動の結果であるから、犯罪などとんでもないこと位にしか考えていないのである。野山獄に収監中のことは、いろいろと書かれているが『靖献遺言』をよんでいるくだりには、読む者をして驚かされるのである。読んで感動し、躍り上がって感極まっている様子が赤裸々に書かれているのである。
のみならず、教育刑の実践を試みて、収監中の先輩に對して勉強を呼びかけるのである。こうして人間の再生を期し、それが後に出獄となるばかりか、富永有隣に至っては松下村塾の教師にしてしまうという「離れ業」までしてしまうのであった。

この14ヶ月の厖大な読書の手配をしたのが、兄の梅太郎である。この美しい兄弟愛は、妹の千代にも同様の態度である。獄中からの兄宛や妹宛の書簡が松陰全集に収載されていて、当時の様子や、松陰の精神生活ぶりがよく解かるのである。
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