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エッセイ (445)
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『楫取素彦人物伝』③
【2013/07/08 13:31】
エッセイ
「松陰全集・楫取素彦関連記事」
昨日、松陰全集に「楫取素彦」関連記事を書き出してみた。本日は、その一部を全集の「原文」を書写してみる。そして、私なりの意訳を試みてみます。
最初に『偶記』を書きます。楫取が、松陰の処罰に反対し、いろいろ手を尽くしていることが書かれています。
処罰の時には「毛利藩政府」にいつも、周布政之助が主導的役割をしていることの、巡りあわせから『偶記』と題名をつけたのかもしれない。楫取の実弟である「小倉健作」も、松下村塾の教師として招聘したく、楫取と相談したとある。松陰は、楫取の三兄弟を大変信頼していたのであった。
だから、二番目の妹の「壽」が小田村伊之助(楫取)へ嫁いだ知らせ(兄・梅太郎からの手紙)に対して、学問のある人物との結婚に賛意を表したのであった。
偶記
十二月十六日(戊午幽室文稿、全集4-480頁)
物には果して因縁あるか、抑々非ざるか、吾れ夙に之に惑ふ。昔吾れの亡命せしとき、周布公輔実にせいふに在り、籍を削り禄を奪はんことを議す。吾れの海に入りしとき、公輔復た政府に在り、議して之を野山獄に投ず。今吾れの再び獄に投ずるや、公輔復た政府の議を主どる。 公輔數々政府に出入りし、政府余を罪する毎に必ず公輔あり。
小田村士毅は則ち之に反す。」亡命・入梅の二變には其の弟健作と與に周旋救護甚だ力む。亡命の時の如き、健作じつに之が為に連座せり。今健作遠く遊びて還らず。余塾を松下に起こすや、方に士毅と謀り、健作を迎へて其の師と為さんと欲す、事未だ遂げずして余再獄の命下る。士毅ここに於て死力を出して余を救はんと欲し、重く罪を獲と雖も顧みず。政府固執して事諧はずと雖も、余は素則ち褚中の感なき能はず。而して頗る因縁の是非に惑ふあるなり。臘月十六日
右は去冬余将に獄に赴かんとし、秘かに記して篋に蔵せり。吾れ挫折困辱して悲憤兼ね至り、往々知舊に加ふるに悖慢の語を以てす、以て吾が士毅の如きと雖も、或は忌憚なし。知らざる者は遂に以て交を全うする能はずと為す。噫、吾れの知を恃みてここに至る。過も亦大なり。吾れ恐る。子孫雲仍深く父祖相與の際に通ぜず、従って嫌隙を生ぜんことを。今米甥幟を建つるに因りて、詩を贈り遂に録して阿妹に寄せ、密かに之れを識し以て他日子を誨ふるに資すると云ふ。端午の日、狂兄寅次手録す。
「大意訳」
安政五年秋、松陰が老中間部詮勝を殺害せんとして、藩政府に武器弾薬の貸与を願い出たことから驚いた周布政之助(公輔)は、「松陰の学術純ならず」として、再度の野山獄収監を命じた。
この命令に対して周布は松陰が東北亡命時や下田蹈海のときにも藩の要職にあった。松陰を罰する時はいつも周布が主導的役割を演じていると、松陰は仲間と思っていたが実は違うと憤慨している。
小田村伊之助(士毅)は、これに異論を唱えて直ちに反対してくれた。しかも実弟の小倉健作とともに、亡命、蹈海のときも松陰を擁護してくれている。私は松下村塾を起した時も、小田村と相談して小倉健作を教師として迎えようと思ったことがある。今度の再投獄も死力を尽くして私(松陰)を救おうと懸命に努力し、尽くしてくれたのある。
これは、去年秋(安政五年)の再獄時、密かに書いて文箱にしまっておいたものである。 私の思いを知らない者は、友人としての交わりが絶えてしまう。安政六年の端午の節句に、詩を贈って、密かに、甥(小田村:壽の子供)の成育に資して貰いたいものだ。
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