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『楫取素彦人物伝』⑤
【2013/07/10 13:55】 エッセイ
没後百年記念『男爵楫取素彦の生涯』

掲題の本がある。サブタイトルに「吉田松陰投獄後の松下村塾を託されていた」とある。編集は「楫取素彦没後百年顕彰会」、発行は「公益財団法人毛利報公会」となっている。この顕彰会は「萩市」・「防府市」、「群馬県」(前橋市)の三ケ所に没後百年を記念して結成された。この本は「防府天満宮」で、非売品となっていたが、現在は有償になった。

購入後に防府天満宮から、初穂奉納料のお礼のハガキが拙宅に届き、不思議に思って「奥付」をみると、非売品表示部分に定価のシールが貼付されていた。それはどうでもよい。

この13頁と364頁に「功徳碑の写真」と「功徳碑の文」(碑文のみが)「資料」として、全文が収載されている。
楫取県令頌徳碑高浜公園


なおこの「功徳碑」は、前橋の県庁裏の「高浜公園」にある。群馬県令の在任中の業績が誌されているので、全文を書写してみよう。

今の元老院議官楫取君の群馬県に令したりしとき、勤倹を以て下に涖(のぞ)み、忠誠以て上に奉じ、民力を休養し徳教を宣布せり。風移り俗易(かわ)り君已に去るも士民翕全(きゆう・一致)として謳唫(おうきん・こえをそろえて誉め称えること)しt已まず。
是に於て辞を合せ(揃って)予に謁(つ)ぐるに功徳の碑を以て請(なが)いと為す。且つ上野は古より難治と称す。その民は剽悍(ひょうかん・荒っぽい)にして軽佻、ことに臨み躁急(そうきゅう・せわしい)にして老成(おとなびる)持久の實無し。君初め至るや、学政(教育行政)を首張(首唱)し以て強化の忽(ゆるがせ)に可からざるを示す。

而るに世は方に泰西の学術を模倣し、専ら知育に偏し、加うるに剽悍(かるはずみ)の俗を以てす。その極は竟に虚誕(でたらめ)妄進(むやみにすすむ)を為し、上を犯し長を凌ぐの風漸く長ず。君之を病み、導くに忠厚の實を以てし、痛くその流弊(通弊)を矯めたり(正しく直す)。幾許も無くして朝議(朝廷の会議)を更革(改革)し、徳育を以て最もと為し、知育・体育之に次ぐ。略君の計画するところの如し。衆始めて其の先見に服せり。十二年、学制復変わり、世自由教育を謂うも君不可を固執す。既にして地方教育果然解体し、君独り其の害を免れ、官卒(つい)に旧制に復す。凡そ君の学事に於けるや、身を以て率先す。郡吏の庁に詣(いた)る毎に、必ず先ず学事を問い、然る後他に及ぶ。郡吏亦其の興衰を以て喜戚(喜悲)と為すに至る。
楫取素彦24.4.24


君亦心を農業に用う。謂えらく富強の術は国産を殖やすに在りと。県は養蚕を尤(優る)として称す。而して繭糸の海外に輸出する者は悉く手を外に仮り、自ら往いて市易(貿易)する能わず其の利は多く外人の壟断(独占)する所と為る。君県民の材幹ある者を募り、資材を投じて其の資を助け航海直輸せしむ。
生糸


群馬繭糸の名頓に海外に噪(かまびす)し。邦人の直輸は実に端を此に発せしなり。その他社倉(凶作救助の倉)を設けて以て蓄積の急務を輸(いた)し、医学を奨励して以て県民の疾病を拯(すく)い、古蹟を捜訪して以て先哲の逸事を彰(あらわ)し、諸々此の如きの類は一にして足らず。曾て邑楽郡大谷林なる者を過(よ)ぎるに、松樹鬱茂として連なり数町歩に亘る。昔時上杉氏の遺臣大谷林伯の手植えせし所なり。君の自ら往きて其の遠孫某(それがし)を一陋屋(粗末の家)中に見るや、称するに祖先の功労を以てせり。傍らに観る者為に泣き下る。又言う君の任に在ること十余年なるも、居常(平常)倹素、出入りに馬車に駕らず。家は惟旧屋を修繕せしのみ。而してこれに居ること晏如(やすらか)たり。

県民君を慕うこと慈父母の如し。去るに臨み老幼路を遮りて留まらんことを乞う。送る人数千人にして惜別の情に勝(たえ)ざりき。嗚呼君の如きは真に古えの良二千石(善良な地方長官)に愧じざる者歟。因って頌するに辞を以てす。その辞に曰く、
詩に甘棠(あまどう・りんご)を詠じ、千載芳を流す。書(論語)は風草を掲げ、万古斯(ここ)に光る。民を振るい徳を育て、幽を顕し荒を闢(ひら)く。彝倫(いりん・常に守るべき道)已に明らかに、蔚(うつ・盛ん)として校痒(学校)を起こす。男は耕に服し、婦は織に勤め、老は安らかに少は懐き、既に衣あり、既に食あり。義有り方(道)、理平らかにして訟(うった)え息む。與誦(よしょう・世論)唶々たり。噫是れ誰の力ぞ。遺愛(残したいつくしみ)は里にあり、何ぞ生祠を須(ま)たん。頌美(ほめる)已むなし、茲に降碑(高い碑)を見る。

明治二十三年十月
元老院議官文学博士  重野安繹撰文


志ありせば


解説
碑は楫取県令=吉田松陰の妹婿=の功績を頌える全県下の有志によって建てられ、東京をはじめ関東近県、遠くは長崎、ニューヨークの有志がその賛助人として名を連ねている。撰文は時の修史官としてすぐれた学識で知られた初代史学会会長重野安繹である。篆刻は有栖川宮熾仁親王、書は明治の三筆と云われる金井之恭である。(古屋毅士)


『群馬の古碑』(昭和五十八年二月二十三日 上毛新聞社発行)
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