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『楫取素彦人物伝』⑥
【2013/07/16 14:33】 エッセイ
小田村伊之助に與ふ(東行前日記)

至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり。
松陰正装画像


 吾れ學問二十年、齢亦自立なり。然れども未だ能く其の一語を解する能はず。
今茲に關左の行、願はくは身を以て之を験さん。
乃と死生の大事の如きは、姑くこれを置く。
己未五月。

 此の語他日験あらば、幸にこれを世に傳へ、湮滅を致すことなかれ。
若し或は索然として蹟なくんば、又幸にこれを焚き、醜を友朋に貽すことなかれ。渾て老兄の処分を仰ぐ。
五月十八日
                         辱愛友矩方再拝
彝堂村君士毅  足下
楫取素彦


吉田松陰は、安政六年五月、野山獄に在って「兄・梅太郎」より、幕府からの召喚命令を伝えられた。
多くの門下生、友人に宛てた文稿を書き与えているが、その中でも、妹婿小田村伊之助には、此の他にも書いている。感謝の思いや自分の胸中を打ち明けたりと、慌ただしい日々の中で、これらが書かれたのである。
就中、『至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり』の語は、『孟子』のことばであるが、松陰はこれを「座右の銘」として大事にしてきた。
ここでは、それにも拘わらず、この言葉を完全に信頼しきれない何かが松陰の胸の内に去来している。それゆえ、今回はこの言葉がどれほどの真実であるか、自身で検証する良い機会になるとしている。成功したら、此れを後々に傳え、反対に検証できなかったら焚書としてくれと言っている。
松陰亡き後の「松下村塾」の運営は、妹婿であり、信頼できる小田村伊之助に託したいのが松陰の胸の内であったと云われる。
事実、文久、元治、慶應と続く長州藩は危機の連続であった。こうした中に在って、小田村の果たした役割は大きく、藩主の意向をくんで、廣島や大宰府に出向き、幕府や七卿との応接という困難な仕事を果すことになったのであった。
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