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『幕末史』を見る眼
【2013/08/21 22:47】 エッセイ
『幕末史考』

幕末維新史は、日本の国家的な危機と相俟って多彩な人物が登場する。これをどのように考えるか?

徳川政権の長期的支配は、困難な人生を生き抜く旺盛な意欲を奪い去ってしまった時期でもあった。ここに『現代との共通性』を見出すことは、それほどの困難を伴わずに見出すことが出来る。事なかれ主義が蔓延する日本人の風土的思考がここにある。

自らの人生の安泰を願って「ご無理御尤も!」と「官の権威」に服従し続けた二世紀半。福沢諭吉の「反官」の抵抗も空しかったのである反面、吉田松陰や高杉晋作のような「独立の気力」旺盛な人物が登場する。危機が人を創ると言われる所以である。

一衣帯水の中国との関係さえ安泰であれば、さしたる統治努力も無く「内治専念型」に終始していれば、それは事足りたのであった。結果として「外交の何たるか?」を知らない。それは、ハリスとの「日米修好通商条約交渉」において、軽く手玉に取られてしまう。明治期のほぼ全期間を通じて、条約改正交渉に費やされた膨大なエネルギーと時間は、西欧諸国との対等な関係を勝ち取るための努力の過程でもあった。治外法権や関税自主権、最恵国待遇などを巧妙に盛り込んだ条約のカラクリを、当時の日本のトップ頭脳は無知のまま、恫喝によって締結されてしまった。まして、日本語ーオランダ語ー英語と複雑な条約締結過程は、結果において日米の条約内容が、自国にとって都合の良いように書かれていたことは知る由もない。

欧米諸国は、自国の存立のために常に隣国との緊張関係を強いられてきた。米国の原子爆弾やコンピューターを生み出した原点は、軍事的要請からであった。国家の存亡をかける経験が、日本の歴史には稀少である。島国と言ってしまえばそれまでなのであろうが、「民族自決」の厳しい場面に遭遇したのは、実にペリーの「砲艦外交」の所産であった。外国からの強制を初体験したのが遅きに失したのである。「交易の利点」を積極的に求める考え方は、「ナショナリズム」の湧出・高揚を「梃子」にする以外、自律的には生み出し得なかった。

吉田松陰


その意味で「吉田松陰」の「愛国心」からの発動による、命がけの行動は特筆に値するものと考えられる。「黒船」を兵学者の眼で詳細に観察し、その背後にある文明の力、軍事力、経済力、技術力、それ等を総合したところの政治力・国力を洞察した「眼力」は正しく、そこから導かれる「自国の危機感」は一つのセットとして考察されるべきである。自らの生命の危険を覚悟して挑んだ「下田蹈海」は失敗に帰したが、この衝撃は正しく日本とは?を考えさせる一大契機となった。

「水戸学」といわれる「日本主義」の思潮を共有する学問の系譜がある。吉田松陰はこの水戸学のもつ独特な日本の魅力に接したのは、下田蹈海の一年前のことである。吉田松陰全集に『睡餘事録』と稱する、日記風の待罪記録がある。そこには次のように記されている。『身皇國に生まれて皇國の皇國たる所以を知らずんば、何を以て天地に立たん、故に先づ、日本書紀三十巻を読み、之れに継ぐに続日本紀四十巻を持ってす。』と。これは、日本の成り立ちを知らずにいた松陰が、東北旅行の途次水戸に一か月滞在し、水戸学の碩儒、会澤正志斎から親しく指導をうけ、日本の素晴らしさを実感し、夢中になって日本古代史を読破している生々しい記述である。ここで、松陰は完全に「日本人に目覚めた」と言ってよい。
江戸期は「藩」が「クニ」として考えられていた。したがって松陰の「家学」である山鹿流兵学は、藩の防衛を以てその職責とするが、当時の武士として統治階級に属する人々は、その職責を果たす義務感に著しく欠けていたがの一般的な考え方・実態であった。儒教による教えの徳目に「忠誠」を至上のものとして学ばされた「武士階級」は、現実的には生産的なものを持たずに、自己管理の名目のもとで「勝手気まま」で「よし」とされていた。「藩主に仕える」限定的な役割を大過なくこなしていくことを以て至上の生き方としたのであった。しばしば語られる「高杉晋作の父親像はその典型」である。つまり、表面上勤勉であれば、「怠惰」を責められずに生きられた。そこに自己の生存をもって至上とする考え方が、日本人としての創造性を目指す努力を失わせることになる。この考え方は、「現代にそのまま継続」しているのである。

幕末史は、こうした「日本国」の在り方に対して結果的に反省を迫った。「狭い意味でのエゴイズム」あるいは、「自分さえ問題なければ」の考え方への警告を発することになる。
吉田松陰が、礼賛されるのは「明確な國家意識」とは断定できないものの、民族滅亡への防衛意識とその行動の軌跡であった。だが明確に、機構としての「国家」を語っていない。それは、「夷人としての國家的接触経験」のなかった松陰には無理なことであったが、彼の後に続く人たちは、開国の実態を知っている故に経験的に日本人を守ろうとの意識―それは「夷狄からの防衛」と表現される―の醸成へと連なっていく。「尊王攘夷思想」は元来、尊王と攘夷とはそれぞれに別個の考え方であったが、國家のプライドを粉砕する「砲艦外交」が招いたものであった。それ故に、吉田松陰の生涯が語られるとき、「維新の先覚」という呼称がされるのである。この意味は重い。

歴史に学ぶ


歴史というものは「客観情勢」と、これに対応しようと努力する「人物」の行動の軌跡が紡いでいくものであろう。吉田松陰がいなければ、間違いなく高杉晋作はあのような人物として存在しなかった。反対に高杉晋作なくして「あの吉田松陰」は存在しなかったのはありありえないことである。それ故に、吉田松陰を除いた維新史はあり得ないのである。幕末史はこのように見ていくと、限りない魅力が潜んでいるのである。同時に、危機が人物を作る側面もまた事実である。

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