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『廻浦紀略』
【2013/10/25 12:54】 エッセイ
廻浦紀略

吉田松陰全集・第九巻収載

一、嘉永二年己酉初七月四日(七月四日)船倉に至る、此の日南風悪くして、船発すべからず、船倉内を 徘徊し て之れを看るに、萩海上警固の兵は之れに営して東濱(ひがしはま)の惣奉行(そうぶぎょう)の命を待つべし。

一、初五 悪風尚お未だ已まず、故に船を発せず、當島(とうどう)代官三須市郎兵衛(みすいちろべえ)訪い来る。終日無事、唯だ書を看、睡を催し一日を終ふ。

一、初六 未明に舟に上る。船二隻、一は船号を和布刈通(かりがよい)と云ひ関船(せきぶね)なり、櫓二十丁立、内の広さ十一畳、幅一間半、長さ六間、船頭二人水手八人。
吉田松陰25.11.09


語訳
徘徊=歩き廻って
惣奉行=総奉行に同じ
和布刈=現在の北九州市門司区、下関の壇ノ浦の対岸で関門海峡のあるところ。
関船=昔の兵船。早船の一種で艪の数の多いものは八十挺もある。下関で造ったからいう。
山口県


解説
廻浦紀略とは松陰の海防視察日記である。萩藩の山鹿流兵学の独立師範となり、藩から「海防御手当内容掛」を命ぜられたのが嘉永二年(1849、松陰20歳)三月であった。この年六月下旬より、翌月二十三日まで前後二回に分って、長門の北海岸石見の国境から西海岸一帯を馬関(下関)に至るまで、海岸防備の実状視察を命じられている。道家龍左衛門、飯田猪之助、それから兵学師範家の多田、大西と同道である。此の出張は家を離れて遠く出た最初の長旅であって、その時の日記を「廻浦紀略」という。
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