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「松下村塾」の母体となった「獄中勉強会」
【2013/11/15 17:16】 エッセイ
福堂策 上 (野山雑著)全集第二巻  安政二年六月一日(一八五五) 二十六歳

まず「松陰全集」の原文を転記する。

元魏の孝文、罪人を久しく獄に繋ぎ、その困苦に因りて善思を生ぜ染む。
因って云はく、「智者は囹圄を以て福堂とす」と。此の説遽かに聞けば理あるが如し。
諸生紙上の論、多く左袒する所なり余獄に在ること久し。
親しく囚徒の情態を観察するに、久しく獄に在りて惡述を工む者ありて善思を生ずる者を見ず。
然らば滞囚は決して善治に非ず。
故に曰く、「小人閑居して不善を為す」と、誠なるかな。

但し是れは獄中教へなき者を以て云ふのみ。若し教へある時は何ぞ其れ善思を生ぜざるを憂へんや。曾て米利幹の獄制を見るに、往昔は一たび獄に入れば、多くはその悪益々甚だしかりしが、近時は善書ありて教導する故に、獄に入る時は更に転じて善人になると云ふ。
是くの如くにして始めて福堂と謂ふべし。余是に於て一策を画す。世道に志ある者、幸に熟思せよ。
正装の吉田松陰2012.3.30

一、 新に一大牢獄を営し、諸士罪ありて遠島せらるべき者、及び親類始末に逢いて遠島せらるべき者は、先づ悉く茲に入る。内、志あり學ある者一人を長とす。親類始末のことは余別に論ありて筆録とす。此の策は只今の有様に就いて云ふのみ。
一、 三年を一限とす。凡そその囚徒、皆出牢を許す。但し罪悪改むることなき者は、更に三年を滞らす。遂に改心なき者にして後、庶人に降し遠島に棄つ。尤も兇頑甚だしき者は、三年の限りに至るを待たず、是れを遠島に棄つ。是れ皆獄長の建白を主とし、更に検覈を加ふ。
一、 長以下、数人の官員を設けざることを得ず。是れ獄長の建白に任ずべし。総べて獄中の事は長に委任し。長私曲あり、或いは獄中治まらざる時は専ら長を責む。
一、 獄中にては、読書・写字・諸種の学芸等を以て業とす。
一、 番人、獄中の人数多少に応じ、五六名を設けざるを得ず。而して其の怠惰放肆の風を厳禁し、方正謹飭の者を用ふべし。番人は組の者を用ひ、番人の長は士を用ふべし。
一、 飲食の事は郡夫に命じ、別に日々監司後れ付の類を出し監せしむべし。獄中銭鈔を貯へ、恣に物を買ふを厳禁し、各人の仕送り銀は番人中一人を定め、是れを司らしむ。即ち今野山獄の肝煎の如し。
一、 獄中断じて酒を用ふることを許さず。酒は損ありて益なし。此の不易の論あり、茲に贅せず。
一、 隔日或は両三日隔てて、御徒士目付を回し、月に両三度は御目付の回りもあるべし。回りの時は獄中の陳ずる所を詳聴すべきは勿論なり。
一、 医者は毎月三四度回すべし。若し急病あれば願出で次第、医をして来診せしむべし。付人の事、湯水の事、江戸獄中の制に倣ふを可なりとす。
一、 獄中画一の制を作り、板に書して楣に掲ぐべし。
歴史に学ぶ

右に論列する所に従って一牢獄を営せば、其の福堂たるも亦大なり。
余幸にして格そとの仁恩に遇ひて、萬死の誅を減ずることを得。
其の身を岸獄に終ふる、固より自ら安んじ自ら分とする所なり。
然れども國恩の大、未だ涓埃を報ずるを得ず。深く忸怩する所なり。
因りて願ふ、若し新獄の長となることを得ば、或は微力を伸部て万一を庶畿することを得ん。但し囚中、其の才学余に過ぐる者あらば、余も亦敢て妄りに其の前に居らざるなり。
余野山獄に来たりてより、日々書を読み文を作り、傍ら忠孝節義を以て同囚と相切磋することを得、獄中駸々乎として化に向ふの勢いあるを覚ゆ。是れに因りて知る、福堂も亦難からざることを。

且つ人賢愚ありと雖も各々一、二の才能なきはなし、湊合して大成する時は必ず全備する所あらん。是れ亦年来人を閲して実験するところなり。
人物を遺棄せざるの要術、是れより外復たあることなし。当今動もすれば人を遠島に処す。余精しく在島の容子を聞くに、降して庶人となすよりも甚だし、全く百姓の奴隷となるなり。堂々たる士人をして此の極に至らしむること、豈に匆々にすべけんや。故に余は先づ獄に下し、必ず已むことを得ざるに及んで、然る後遠島に処せんと欲す。是れ忠厚の至りなり。但し放縦は人情の安んずる所にして、厳整は其の厭ふ所なれば、右の如く制を定むる時は必ず悦ばざる者衆し。然れども、是れに非ざれば福堂の福を成すに足らず。
方今庶政維れ新たに、百弊革めざるななし。独り囚獄の政に於いて、未だ至らざるものあるを覚ゆ。故に余故に私に策すること此の如し。然れども是れ独り士人の獄法を論ずるのみ。庶人の獄に至りては更に定論あり。今未だ贅するに暇あらず。

安政乙卯六月朔丙夜、是れを野山獄北第一房に於いて書す。二十一回猛虎 松陰在野山獄
松下村塾24.4.25


この「福堂策・上」は、安政二年六月一日夜に書かれた。松陰が収監されて、凡そ半年経過し、この間に有名な「獄中勉強会」を提唱した松陰は、この経験に基づいて、「獄中」といえども「福堂」に変え得ると確信した。

松陰の人間観は、『孟子』を勉強した為に「性善説」に立っており、罪人といえども、教育によって再生の方向に善導できると考えていたようだ。とりわけ、「人賢愚ありと雖も一、二の才能無きは無し」は、努力して自らの才能を開花させることで「生きがい」を見出し得るとの考え方は、大変に素晴らしい。
難解な文言が並ぶのが松陰の文章の特徴であるが、「振り仮名」をつけずに原文を転記して見た。この考え方と、「獄中勉強会」の経験が後に「松下村塾」へと連なっていくのである。

人には、必ず何等かの才能がある。それを引き出して「松下村塾」で実証してみせたのが、吉田松陰の教育である。優れた「人物眼」によって松陰は門下生の個性を見抜き、そこに焦点を当てて「指摘」したのであった。尊敬する師から、称えられた才能は「高杉晋作」のように大きく開花した門下生が続出し、ひいては明治の国家指導者を多く輩出した「秘訣」がある。吉田松陰を学ぶことの意義は、時代を超えて、誰もが学ぶことで、自己教育が可能であることを教えてくれる。教育者はすべからく吉田松陰を学ぶべきだと思うのである。
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