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吉田松陰の『七生説』
【2013/12/16 11:35】 エッセイ
『七生説』    
(丙辰幽室文稿)安政三年四月十五日(一八五六)二十七歳

今日は、吉田松陰の有名な『七生説』を書いてみる。楠正成(南朝の忠臣)の精神が、明からの亡命者である「朱舜水」に、そしてまた自らの内にも伝わり生きているということを実感した松陰は、ここから「精神の不滅」を確信してこの『七生説』を書き、それを「理気の説」で説明している。ここから、楠公等の優れた人々と「理」を一にしていると信じている自分の精神を、七生の後の人達にもこれを受け継ぎ「興起」して欲しいと願っている。それゆえ、「死」に臨んで従容とした態度だったと言われる。
先ず、原文を記す。後段に現代語訳(阿部博人さん訳)を書いて、この少し難しい文稿を考えてみることにする。

松陰正装画像


天の茫々(ぼうぼう)たる、一理ありて存し、父子祖孫の綿々たる、一気ありて属(つづ)く。人の生まるるや、斯の理を資(と)りて以て心と為し、斯の気を(う)けて以て体と為す。体は私なり、心は公なり。私を役して公に殉ふ者を大人と為し、公を役して私に殉ふ者を小人と為す。故に小人は体滅し気竭くるときは、則ち腐爛潰敗(ふらんかいはい)して復た収むべからず。
君子は心、理と通ず、体滅し気竭(つ)くるとも、而も理は独り古今に亙り天穣を窮め、未だ嘗て暫くも歇(や)まざるなり。
余聞く、贈正三位楠公の死するや、其の弟正季を顧みて曰く、『死して何をか為す』と。曰く、『願はくは七たび人間に生れて、以て国賊を滅さん』と。公欣然として曰く、『先づ吾が心を獲たり』」とて耦刺(ぐうし)して死せり」と。
楠正成の図


噫、是れ深く理気の際に見ることあるか。是の時に当り、正行.正朝の諸子は則ち理気並び(つづ)く者なり。新田.菊池の諸族は気離れて理通ずる者なり。是れに由りて之れを言はば、楠公兄弟は徒に七生のみならず、初めより未だ嘗て死せざるなり。是れより其の後、忠孝節義の人、楠公を観て興起せざる者なければ、則ち楠公の後、復た楠公を生ずるもの、固より計り数ふべからざるなり。何ぞ独り七たびのみならんや。
余嘗て東に遊び三たび湊川を経、楠公の墓を拝し、涕涙禁ぜず。

朱舜水


其の碑陰に、明の徴士、朱生の文を勒するを観るに及んで、則ち亦涙を下す。噫、余の楠公に於ける、骨肉父子の恩あるに非ず、師友交遊の親あるに非ず。自ら其の涙の由る所を知らざるなり。朱生に至りては則ち海外の人、反って楠公を悲しむ。而して吾れ亦生を悲しむ、最も謂れなし。退いて理気の説を得たり。乃ち知る、楠公.朱生及び余不肖、余不肖を資(と)りて以て心と為す。則ち気属かずと雖も、而も心は則ち通ず。是れ涙の禁ぜざる所以なりと。余不肖、聖賢の心を存し忠孝の志を立て、国威を張り海賊を滅ぼすを以て、妄(みだ)りに己が任と為し不忠不孝の人となる、復た面目の世人に見(まみ)ゆるなし。然れども斯の心巳に楠公諸人と、斯の理を同じうす。安ぞ気、体に随って腐爛潰敗するを得んや。必ずや後の人をして亦余を観て興起せしめ、七生に至りて、而る後可と為さんのみ。噫、是れ我れに在り。七生説を作る。

※七生説 = この世に七たび生まれ変わって国恩に報いると云う説。



七生説(現代語訳)

天が遠く広々と在るのは、一つの理によって在り、父子祖孫が綿々と続いているのは、一つの気によって続いているのである。人が生まれるや、この理を受けて心と為し、この気を受けて体と為す。体は私であり、心は公である。私を使役して公に殉ずる者を大人と為し、公を利用して私に殉ずる者を小人と為す。故に小人は体が滅し、気が竭きる時は、腐り敗れ滅び、再び元に戻ることはない。君子はその心が理に通じ、体が滅し気竭くるとも、理はひとり古今に亙り天地間に充塞し、未だかつて片時もその働きが休んだことがない。
私は伝え聞く。楠正成公が死ぬ時、弟の正末李を顧みて云うに「死んで何を為すのか」と。
正季は「願わくは七度人間に生まれ変わって、国賊を滅ぼしたい」と答えた。正成公は大いに喜んで、「私の心を得たものである」と云って、兄弟刺し違えて死んだのである。
ああ、このことは深く理気説に見ることが出来る。この頃の、正行・正朝の諸子は、正成公とその理気が続いていたのである。新田・菊池の諸族は、気は離れていても理は通じている者である。このことによれば、楠公兄弟は唯、七度生まれたというのみならず、始めから未だかつて死んでいないのである。これよりその後、忠孝節義の人で、楠公を見て興起しない者がいないのだから、楠公の死後、また楠公が生まれ続くのは、固より教えることが出来ない。どうして七度のみであろうか。
私はかつて東方に遊歴し三度湊川を経て、楠公の墓に参拝し、涙を流す事を禁じ得なかった。その碑の背面に、明の徴士である朱舜水が記した銘文を見るに及んで、また涙を流した。ああ、私は楠公に対して、骨肉父子の恩があるわけではなく、師友交遊の親しみがあるわけでもでもない。自分ではその涙が流れる理由が解からない。
朱舜水肖像


朱舜水は外国の人であるのに、かえって楠公を悲しんでいる。そして私もまた朱舜水を悲しむのは、最もいわれがない。後に理気の説を得ることが出来た。そこで知ったのは、楠公も朱舜水も私も、皆この理を受けて心と為していたということである。則ち気は続いていなくとも、心は通じているのである。このことが涙を禁じ得ない理由である。
私は聖賢の心を抱いて忠孝の志を立て、国威を示し海外からの賊を滅ぼすことを、自身の任務としてきたが、度々躓き、不忠不孝の人となってしまった。再び世間の人に合わせる面目はない。併しながらこの心は既に楠公諸人と、この理を同じくしている。どうして気と体に従って、腐り敗れ滅んでしまうのであろうか。必ずや後の人をして、私をみて興起せしめて七度生まれ変わって、その後に滅ぶことをよしとするのみである。ああ、この任は私に在る。七生説を作る。
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