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『続二十一回猛士の説』
【2013/12/16 17:39】 エッセイ
『続二十一回猛士の説』
(丙辰幽室文稿)安政三年(1856)四月十八日 二十七歳
吉田松陰25.11.09


松陰が好んで用いた「ペンネーム」に【二十一回猛士】というのがある。これは、自分の生涯で二十一回の猛々しい行動(國家の為に)を行うと誓ったことを意味するのであるが、松陰の人生は、「志半ば」で刑死してしまう。時に二十九歳と二か月の実人生であった。その結果、十八回の猛の行動は果たせずじまいであった。三回の猛の実践は①過所手形の発行を待たずに東北方面の海防視察に出掛けた「脱藩行為」。②脱藩で家禄召し上げの浪人(長州藩では育(はぐくみ)という)の身分で、藩主への上書を提出したこと。③下田からペリーの軍艦に乗船して密出国を企てたこと。である。
この「二十一回猛士の説」というのは、安政元年に書いている。これは、その続編である。これを書くことで、自分を奮い立たせる意味を込めている。文中「三余読書」、「七生滅賊」も、松陰の実学的発想で実践を秘めて書かれている。どちらも松陰の文稿である。
この国事行為の実践は学問との連動することが松陰の持論であった。
先ず、原文の書下しを記す。後に口語訳を書く。


二十一回猛士の写真


余前に二十一回猛士の説を著し、又三余・七生の説を選す。幽囚の室、半間に膝を容れ、右に「三余読書」の四字を題し、左に「七生滅賊」の四字を題す。
日夜優悠として其の間に坐臥す。族人交々謂ひて曰く、「今試みに三を以て七に乗ずれば、亦二十一を得ずや」と。余躍然(やくぜん)として曰く「善し、吾が心を獲たり」と。
因って其の説を続(つ)いで曰く、「三余読書は七生滅賊の本なり、七生滅賊は三余読書の効なり。其の本なくして其の効ある者は、未だ之れあらざるなり。其の本ありて其の効なき者は、未だ之れあらざるなり。これを天地に立て、これを鬼神に質すとも、吾れの自ら信ずること、かくの如きのみ。嗟乎(ああ)、隨・陸武なく、絳(よう)・灌(かん)文なし、漢高の得て以て四方を守らんと欲する所、亦斯の種の人に非ざるを得んや」と。

写真劉邦



口語訳
私は以前に、「二十一回猛士」の説を書き、また「三余説」と「七生説」をを書いた。私の幽囚の部屋は三畳半なのでその半分に膝が入る程だ。その部屋の右側に「三余読書」の四字題目を書き、左側に「七生滅賊」と書いて貼ってある。
毎日、日がな、心穏やかにゆったりとして坐している。家族の者がお互いに云う事に「三」に「七」を乗ずると「二十一」となる。と云い合っている。
私は躍り上がって、「よく云った、私の心に叶っている」と感嘆した。そしてこの二十一について考えることには、基本となる者がないのに、その効験が現れるためしは、今までなかったことである。このことを天地・鬼神に問いただしたところで、私の信ずる所はこのようにあるのみだ。思うに隨何(ずいか)、陸賈(りくか)のような高士も居なく、絳侯周勃や灌嬰のような学問をしている人もいなく、劉邦のような人物が四方八方から国家を守ろうとしたように、この様な人々でなくてどうして国を守ることが出来ようか。

隨・陸武 =隨何・陸賈の二人。共に劉邦(漢の高祖)に仕え、使者として他国へ行き功を立てた武人。 
絳・灌文 = 絳侯周勃・灌嬰の二人。劉邦に仕え功を立てた学者。

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