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「御雇外国人」について
【2014/02/10 10:43】 エッセイ
『御雇外国人』のこと

近代日本の国家形成は、概して「西洋先進国」の「制度、文物、精神、技術、教育、医学、軍事、政治、財政、金融」等々、多岐の分野にわたる取り入れが必要であった。 徳川治世下では、儒学による東洋の学問を基盤として強要(寛政異学の禁)され、後半から蘭学が徐々に拡大して来たが、それはまだほんの一握りの人達への普及であった。「蛮社の獄」に見られるように、洋学(蘭学)は異端視され、排除される状態であった。
ベルツの日記


「オランダ風説書」のような、限られた情報では「西洋事情」のうねりは知るべくもなかった。アヘン戦争情報や、ペリーの来航は、西洋文明の何たるかを垣間見せるとともに、鎖国体制への反省を大きく促すことになった。安政期以降の西洋情報は、「開国と攘夷」をめぐる確執はあったものの、開国による列強への対抗できる国策を建てる以外に選択の余地はなかった。そうしなければ、亡国の道を歩むか、植民地化されるしかなかった。 明治四年の「岩倉遣欧使節団」の実地検分はそれをさらに促進するところとなった。
クラーク博士


吉川弘文館の「国史大辞典」第二巻、九二四頁に「御雇外国人」の項があるのでそれを引用してみる。それによると御雇外国人という呼称は「文明開化期」の新鮮な流行語であったという。「御雇」の「御」は政府による「雇い入れ」を意味する。勿論、民間も政府に倣って積極的に取り入れることとなった。

『政府が雇用した「官雇外国人」は、明治七、八年が最も多数で約五百二十人に及び、その後は漸減し、十三年頃には半数となってその後も減少を続けた。
民間でも政府に倣って、学校や会社に「私雇外国人」を多く採用した。これは明治七年には百二十六名であったのが、二十五年には五百七十二名に達し、「官雇」とは対照的な傾向となった。
明治初半期における近代日本の建設には、特に官雇外国人が、政治・法制・軍事・外交・金融・財政・産業・交通・建築・土木・開拓・科学・教育・美術・音楽などの各分野にわたり活躍し、顕著な歴史的貢献をした。官雇外国人の実総人数は、明治年間を通じて、恐らく三千人前後に達するだろう。
職務別人数では、明治十年代の初めまでは技術者・学術教師・事務家の順になる。それが二十年代以降になると、技術者が低下し、学術教師・事務家・技術者の順になる。 御雇外国人の時代は、三年から十八年までの「殖産興業」の中枢機関として活動した工部省の時代と重なり、ほぼ明治初期から二十年頃迄と云える。
国籍別では、「官雇外国人」の大部分は、当時の対外関係で重要な地位を占めていた英・仏・米・獨の四か国からきた人々であった。最も多数雇用した官庁は文部省と工部省であり、明治政府が近代的学術と技術の移入にいかに熱心であったかがよく解かる。工部省の御雇外国人の実総数は、前期を通じて五百八十名、そのうち英国人技師が四百五十名と、その約八割を占めたことが特徴的である。 政府はお雇い外国人を極めて優遇し、往復旅券や住宅を与え、高額の月給を支給した。当時の最高給である大政大臣の月給八百円を上回って支給される者も数人いたほどである。
ベルツ博士



「先進国に追いつくまでは、すべての犠牲を払わねばならぬ、その為に殖産興業や文化が発達して「国益」が増進すれば、打算として損はない!というのが当時の考え方であった。 「御雇外国人」の歴史的役割は、日本近代化のための助言ないし脇役であった。政策決定の主導権は政府の指導者が堅く保持し、御雇外国人をよく使いこなしたところに、明治日本の成功の秘訣があった。これに、別表が明示されているが、割愛する。(梅渓昇:著)』

なお、手頃に購入できる書籍としては、「日経新書」と「講談社学術文庫」があり、ともに著者は「梅渓昇」氏である。刊行時期の間隔からすると、前者が文庫入りしたのかもしれない。教育思想を巡って、欧化一辺倒への反動として、明治十年代に儒教的立場からの反論が一つの潮流となったのは、教育史を知る者は御存知の通りである。そこで忘れてはならないのは、軍人勅諭や教育勅語との関連である。文教政策としての国民精神運動が、国体として結晶させるために、強制的な側面を持ったことも、近代日本史では重要な出来事だった。歴史の教訓として、軍人の政治への容喙とともに忘れてはなるまい。
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