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幕府断罪書
【2010/08/10 22:51】 エッセイ
安政6年10月27日、午前。幕府評定所での判決文です。江戸期の判決文として貴重かと思います。舟橋聖一の秘話も書いておきました。

安政六年十月二十七日(全集第十巻133頁 関係公文書類収載)

松平大膳大夫家来杉百合之助へ引渡し蟄居申付け置き候浪人 吉田寅次郎
吉田松陰の処刑24.3.25


其の方儀外夷の状態等相察すべくと、去る寅年異國船へ乗込む科に依り、杉百合之助へ引渡し在所に於て蟄居申付け受くる身分にて、海防筋の儀ほ頻りに申し唱へ、外國通商、數港御開き相成るは御柔弱のお取計ひにて、御國為にも相成らず、誠実友愛の儀を唱へ、和親交易を相願ふ夷情に基き、御國において御不都合の次第之れある儀を申し諭し御断り、追って御打拂方然るべき抔、又は當時の形勢にては人心一致天子を守護いたし、卑賤のものにても人を御撰擧之れなくては迚も御國威は振ひ申す間敷く抔、御政事向に拘る國家の重事を著述いたし、大作(対策の誤り)其の外狂夫の言或は時勢論と題號いたし、主家又は右京家等へ差出し、殊に墨夷假條約御渡し相成り、御老中方御上京之れある趣承り、右は外夷御處置振りの儀と相察し、蟄居中の身分にあるとも下総守殿通行の途中へ罷り出で御處置を相伺ひ、見込の趣申立て、若し御取用ひ之れなく自然行うはれざる次第に至るならば、其の節は一死殉國の心得を以て必死の覺悟を極め、御同人御駕籠へ近寄り、自己の建議押立て申し度き抔、一旦存じ立つる段、國家の御為めを存じ仕り成す旨は申立つるなれども、公儀を憚らざる不敬の至り、殊に右體蟄居中の身分梅田源次郎へ面会いたす段、旁ゝ不届に付き死罪申付くる。

安政六年未十月二十七日
                     松平大膳大夫家来 小幡彦七
右の通り申し渡し候間、其の意を得、主人へ聞けるべし。
十思公園24.3.25


この判決文読み聞かせで、松陰の死罪が確定。実は遠島の評決を、井伊直弼が朱筆で死罪と訂正した。これは、その20日前に、越前の橋本左内が死罪となった事情が、明治になって松平春嶽が『逸事史補』という回顧談に書いている。その直後、伝馬牢に早籠で運ばれ、処刑された。この跡地は今「十思公園」となって、松陰の遺著「留魂録の冒頭の歌・・・身はたとひ」が書かれた石碑が建っています。
合掌
松陰墓

なお、舟橋聖一に『花の生涯』という小説がある。この時に松陰がわめいたと書かれていて、山口県出身の大物が舟橋聖一を呼び出して、激しく叱責の上、訂正を求めたという秘話があります。舟橋聖一は恐縮してこれを受け入れたという。

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