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「村田清風」への松陰の「挽詩」
【2014/05/05 12:15】 エッセイ
「村田清風」翁の死を哭す

幕末長州藩の大政治家「村田清風」は、藩士達の衆望をになって「天保改革」を行ったが、「三十七年皆済仕法」の実施をめぐって、賛否両論噴出し甲論乙駁となって、坪井九右衛門に主導的地位を譲る。この当時はまだ「藩内対立」とまでは至らなかったが、後に「正義派」と「俗論派」との抗争に発展する。しかし、清風は、指揮を執る立場を降りても、依然として大御所の立場から「睨み」を利かせていて、その存在感は健在だった。
村田清風


村田清風の系譜は「周布政之助」や「松下村塾」の人々で「正義派」、「坪井九右衛門」の系譜は「椋梨藤太」に連なっていく。「野山十一烈士」の人々が粛清されたのもこのためである。幕末の長州藩が維新への主導的立場を築いたのは、この村田清風のお陰である。その清風が、安政二年五月に死去した。
吉田松陰は『前参政村田翁を挽す』と題してその哀しみの胸中を漢詩に託した。

松陰全集第六巻にそれが収載されているので紹介しよう。(読み下し)
吉田松陰結跏趺坐小


前参政村田翁挽す
皇天何の心ぞ我が長防に幸せざる、
吾が君の眷する所、一朝にして忽ち喪亡す。
五朝の老臣薫績多く、
明時に遭遇して輝光あり。
曾て機密に參して衆怒を犯し、
子産、政を聽きて遂に成るあり。
再起、弊を革めて譽益々馳せ、
君實、汴に留まりて衆相慶す。
老を告げて歸隠す澤江の勝、
詩酒風流、日月長し。
吾が君老を養ふ意未だ艾きず、
強ひて衰病を起たして朝堂に升らしむ。
先づ知る、周邦新更に新なるを、
七十、朝に杖つきて殊榮を賜ふ。
今日、訃報を聞いて唯だ錯愕す、
滿窓の風雨、夢茫々たり。

天、一老を遺さず、國、矜式する所なし、人をして涙堕ちて已まざらしむ。
挽詩一篇録して清狂上人に示す。上人は翁を知れる者、其の赴を聞けば又復た如何ぞや。抑々翁の世を捨つる、人誰か悲しまざらん、而して眞に之れを怨むる者其れ幾何ならんや。
乙卯六月                             寅白す
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