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「長州藩の武士階級のこと」
【2014/06/04 20:52】 エッセイ
『もりのしげり』

長州藩のことについてはこの本が必携品である。著者の「時山彌八」という方は「毛利家」に関する文書編纂に携わった方のようである。「毛利家の家臣団」の詳細が整理して記述されており、幕末の長州藩についての研究には欠かせないとても大切な本である。
奥付を見ると「大正五年十一月二十日」の初版となっている。さらに、「昭和七年八月二十日代謄写印刷再版」(非賣品)となっている。
毛利敬親像


「舊長藩士卒階級一覧表」が収載されているので、記して見る。


① 「一門」:創始時代は輝元時代。禄高は自一萬七千石、至六千石。一門とは猶一族と云うが如し。一門は「六家」あり。曰く、三丘宍戸、右田毛利、厚狭毛利、吉敷毛利、阿川毛利、大野毛利、是なり。世々老臣たり。明治元年十二月官制改革の後「大夫」と称す、明治二年九月大夫の名を廃し「上士」と称す。

② 「永代家老」:禄高は自一萬三千石、至一萬石。老臣にして別格のもの二家あり、永代家老とす。曰く須佐益田、宇部福原、是なり。明治元年十二月官制改革後、「大夫」と称す。明治二年大夫の名を廃し「上士」と称す。
筆写註:第一次長州征伐の収拾条件の時に、家老の切腹が幕府側(参謀は西郷隆盛)から提唱された。此の時、「益田親施」、「福原越後」他に家老の「国司信濃」(家老)が切腹し、「首級を差し出す」ことになった。これは、作家の「古川薫」さんが『野山獄相聞抄』のなかで「見事な御最期」として短編小説に書かれている。

③ 「寄組」:創始時代は「秀就時代」。禄高は自六千二百石、至一萬石。往昔は「寄組」の名無し。「秀就時代」高禄の士を録して此一階級を置く。蓋し、「寄組」とは、大組卽ち八組の各組へ一人宛分配して、統轄寄力すると云う義より起れりと総て六十二家あり。組頭なくして「家老」の直属たり。明治元年十二月千石以上の寄組を上士と称し、以下を中士上等とす。筆者註:吉田松陰関連で名の出て来るものに「口羽徳輔」がいる。

④ 「手廻組」:テマワリグミと読む。禄高不詳。手廻組とは、藩主に接近の職務に服する者を以て、其の在職中特に編入組織する所なり。因って八組の如く世襲の一階級にあらずして、或は「八組」あり、或は「遠近附士」、或は儒者醫師、或は膳夫等あり、而してその統轄に手廻頭(寄組士)あり、其の配下に手廻物頭(大組士)あり。(明治元年十二月大組士より手廻士組たりし者は中士上等と改む)。」

⑤ 「物頭組」:禄高不詳。「物頭組」は大組頭より大組物頭に至る者を以て組織す。物頭なる名称は、慶應元年七月廿七日廃止せられ、更に中隊司令士と称えしむ。但し、他藩応接等に必要の際は従前の如く物頭と称えしむ。明治元年十二月中士上等と改む。

⑥ 「大組」:創始時代は「秀就時代」。禄高は自千六百石、至四十石。一つに馬廻りとも云う。総て八組あり、よって「八組」とも称す。寛永二年大組六組江戸組に二組と定め輪次に其の一組宛を江戸邸の警備に充て、一ケ年毎に帰國休養せしむ。他の六組は藩城の守備(此の守備は慶應元年七月十一日廃止)に任ず。各組長を大組頭(寄組頭)と云い、其の配下に大組番頭(六組士)あり。慶應元年七月十一日八組を合して一組とし、組頭番頭をも各三人に減ず。明治元年十二月中士上等と改む。筆者註:高杉晋作、桂小五郎はこの階級に属していた。高級家臣団であった。

⑦ 「船手組」:創始は輝元時代。禄高は自五百石、至四十石。一つに馬廻通りとも云う。往昔は七組ありしか、後五組となり又三組となり終に二組となる。多くは三田尻に往し水軍たり。寄組士村上二家をして其の組頭となす。明治元年十二月中士上等と改む。

⑧ 「遠近附」:エンキンヅキと読む。創始は綱廣時代。禄高は自百五石、至十三石。一つに馬廻通並とも云う。此の階級の濫觴其の他末考又此の階級の下に遠近付觸流と云うあり。又其の義末考。明治元年十二月中士下等と改む。

⑨ 「寺社組」:禄高は自百石、至十四石。儒者醫師書畫家騎馬師能言師等の技藝を以て仕える者、階級にして寺社奉行之を統轄す。明治元年十二月下士上等と改む。筆者註:久坂玄瑞はこの階級に属していた。

⑩ 「無給通」:創始は綱廣時代。扶持方九人、高六十石以下。一つに近習通とも云う。無給通とは、給地にあらざるを意味するなり。嘉永四年頃総人員五百十二人あり。明治元年十二月下士上等と改む。筆者註:吉田松陰はこの階級に生れ、吉田家(大組)に養子となったのである。

⑪ 以上が、藩士の階級上位十傑である。此の下には順に、「鷹匠」、「鵜匠」、「膳夫」、「大船頭」、「中船頭」、「地徒士」、「供徒士」、「陣僧」、「三十人通」、「小船頭」、「士雇」、「御細工人」、「船頭稽古扶持取」、「濱崎船大工」、「大阪船頭」、「検断」、「手大工」、「手廻足軽」、「先手足軽」、「城代足軽」、「濱崎梶取」、「濱崎手舸子」、「濱崎歌舸子」、「山口馬刺」、「梶取」、「手舸子」、「平郡舸子」、「藏元付中間組」、「地方組中間」、「十三組中間」、「百人中間組」、「新百人中間組」、「六尺」、「新六尺」、「船大工」、「木挽」、「杣」、「鍛冶」、「御茶屋組」、「山代地手子」、「大阪淀舸子」、「大阪屋敷蕃」、「京手子六尺」、「四役」、「厩ノ者」、「雜色」、「煮方」、「食焚」、「天下送場中間」、「武具方中間」、「時打」、「水仁」、「野山屋敷中間」、「石切」、「吉田茶屋道具番」、「籠番」、「鷹方下役」、「鳥飼」、「藏元付支配中間」と、これだけの階級があった。江戸時代が、別面、階級社会と言われる所以である。この、固定的な「閉塞感」を打破したことで、列国に擬して独立を全う出来た。
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