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『吉田松陰の功績評価』をめぐって
【2014/06/15 21:40】 エッセイ
『日本の歴史』―「開国と攘夷」再読のこと

仕事の必要上から、標記の本の「文庫版」(中公文庫)を購入して再読をはじめた。文庫はどこでも持ち歩けるので便利である。電車の中でも気楽に紐解ける。文庫版になって「解説」も巻末に記されているので、親切である。元版は高校時代に全26巻を読了して、受験勉強に使ったので手放せずに半世紀もの間全巻を保持している。

今回、読み直してみて非常に名著であるとの印象がある。「アヘン戦争」から書き起こして、「王政復古のクーデター」までを記述。著者の小西四郎さんはかつて「東大史料編纂所」に勤務し、「維新関係史料」を精査研究した方である。
通史の敍述形式だが、さすがに「史料」が程よく挿入されていて「読みごたえ」がある。「安政の大獄」まで読み進めたが、概説通史の書物としては詳述されていると云ってよい。
吉田松陰


井伊直弼の評価、橋本左内への高い評価は読んでいて説得力がある。左内と吉田松陰はかなりの紙面を充てて「さすが」と思わせる叙述となっている。面白いのは、吉田松陰への評価である。とりわけ「松下村塾」出身者が幕末維新期に多くの人材を出したことを以て松陰一人の功績とすることに、過大評価への誡めとも取れる記述は、現代の「松陰研究の泰斗」たる「海原徹」先生の評価と近いものがあって興味をそそる。勿論、吉田松陰に対して最大級の賛辞を惜しまないが、それでも行き過ぎた高評価への警告的言辞は流石と云うべきであろう。

非常に良い文章なので、長文ながら転記して見る。 吉田松陰は、安政の大獄関係志士の中では、もっとも異彩を放つ人物であった。松陰が「松下村塾」を開いて(註:主宰と表現すべき。開いたのは叔父の玉木文之進。)、後進を指導したことはあまりにも有名な話である。・・・・・・ペリー来航に当っては、いち早く浦賀に行って、その様子を偵察している。そのさいかれは幕府の無能さを、「なにぶんにも太平の世を謳歌して、なんの対策もたててこなかった。こうなって大狼狽しているさまは、まことにあわれるべきことだ」と述べ、しかもまた、「これによって、日本の武士が、心機を一転する機会がきたのであるから、黒船も喜ぶべきことだ」とも述べている。

そして翌安政元年(註:これは嘉永7年と記述すべき)には、あえて国禁をおかして海外情勢をじっさいに見聞しようとして、下田で密航を企てたのである。そして捕えられ(註:自首しての文言を挿入すべき)て、藩地に送られ幽囚の身となった。そこで、松下村塾の後進指導が開始されたが、その門下からは幕末維新から明治にかけての人材が多数育成された。高杉晋作・久坂玄瑞・前原一誠・伊藤博文・品川彌二郎らがそれであり、木戸孝允もまた松陰の強い影響を受けた一人である。

わずか三十歳、妻も娶らず、一生を童貞ですごし、理想に燃えて生きた彼の人間教育は、たしかにすぐれていた。だがここでひとつ考えておかなければならないことは、松陰門下からたしかにのちの日本を背負った人材が出たが、そのことをすべて松陰の功績として賞賛してよいかどうかという点である。松陰の功績を無視するわけではないが、その後人材が人材として成長していった過程、その条件のほうをより重視する必要があるのではなかろうか。

松陰がたしかにすぐれた理論家であり、指導者であることを認めるにやぶさかではないが、しかしあまりに超人的讃辞を送ることはまちがいであろう。
松陰の松下村塾における教育の眼目は、君臣の義と、内外華夷の瓣を明らかにすることであったが、合わせてつねに当時の世界の形勢、日本の実状に通じ、塾生らが各自の個性と境遇とをかえりみながら、このような時代にいかに働くべきかの方法を考究した。・・・・・・己の信ずるところを直進する狂熱的な指導は、たしかに若い後進の魂をゆすぶるものであり、その感化力はすばらしいものであったことは疑う余地はない。
(以上164~167頁)
松下村塾24.4.25 

現代の松陰研究の第一人者である「海原徹」先生も、「松下村塾」出身の栄達者が多数輩出したことを過大評価する風潮に疑問符を投げかけている。無条件の「吉田松陰礼賛・崇拝」を戒めている。確かに、吉田松陰の様に己の全人生を賭けるほどの情熱や「狂」と謗られても信念を貫く教師は、歴史上稀有な人物であろう。

人間は「神」ではなく、長短所は一人の人格に併存する。教育は、こうした人間の「あるがまま」を承認してこそ、長所の引き出しを以てその営為の意義があるのだろう。私達は軽軽に吉田松陰を論じてはならないのである。己の信念を信じて、精一杯生きる人間を願った松陰の胸の内を察してこそ、初めて松陰の何たるかを語れるのではないか。家庭不和を抱えながら、反面教師とならないよう心したいものだと思う。
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