長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

吉田松陰の夢
【2010/08/10 22:52】 エッセイ
「松陰の夢」の一端を書きました。
尊皇攘夷でなく最初は尊皇開国の考えだったのであります。松陰=尊皇攘夷は実は違います。


松陰はペリー来航時、士籍剥奪、家禄没収、吉田家取り潰し処分後の、でいわゆる「浪人」の身であった。正しくは毛利藩特有の制度で『育』(はぐくみ)の身分である。

藩主の毛利敬親から、特別に山鹿流兵学師範の将来を嘱望されていただけに、藩主の「国の宝を失った」との嘆息のことばは真実味がある。

敬神家の父と濃厚な儒学の一族に育っただけに、「長幼の序」や「君臣の儀」を重んじる秩序への憧憬は、殆ど『信仰に近い』ものだったようである。親や兄、叔父、師匠への書簡が残されているが、オーバーな位に敬語や尊敬語の表現がなされています。これが敷衍して『華夷の弁』を弁えることが、日本人の理想であったようである。だから、ペリーの高圧的な外交手段である「砲艦外交」と、これに対応する幕府の「軟弱外交」に耐えられなかった。今日的に言えば「馬鹿にするな!」といったところである。

松陰と云えば「尊皇攘夷」を連想するが、実は違う。松陰は「尊皇開国」の考えだったが、ペリーへの憤怒から考え方を変えたのである。処刑の半年前に佐久間象山の甥、北山安世に宛てた書簡に「独立不羈三千年の大日本」という言い方をしている。これは、国家のプライドを意味するものである。「対等外交」を志向した松陰は、これが叶わぬことに人一倍憤激した。

「日本国誕生」以来、他国や異民族からの支配を受けていない「素晴らしい日本」を愛していた。つまり、愛国者である。残念ながら、西洋兵学の卓越性を知っていたから「切歯扼腕」したのである。天皇を尊崇すること、ひとかたならぬ松陰だけに無念だったに違いない。松陰のいう『大和魂』はこういった文脈で捉えないと、意味が正しく掴めません。

幕府の無定見(腰抜け)ぶりに怒り、「無断勅許の条約調印」は当然に受け入れられなかった。それは「天皇崇拝」の松陰からは許しがたいことだった。(大義を議す、戌午幽室文稿・全集第四巻、372頁)ここで初めて「討幕」の考え方が出るのである。
しかも、当初は井伊直弼を評価していたのが結果として反対に「処罰命令」を出されてしまったのは歴史の皮肉としか云いようがない。悲運なり!吉田松陰!!です。


関連記事
スポンサーサイト
この記事に対するコメント
『松陰の夢』を拝読しました。
『大和魂の本質』を、『日本精神の真髄』を実に簡潔に述べられています。
松陰を愛する者のひとりとして深い感銘を受けました。

我々日本人は、今一度、松陰のこの心を学び、受け継いで行きたいものです。
ご先祖から掛替えのない生命を受け継いできて、今私達はここにいます。

先の戦争で散華された英霊達に、心の中で手を合わせたいものです。

【2010/08/11 12:30】 URL | KU #- [編集]

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kinnhase.blog119.fc2.com/tb.php/31-b8407291
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

検索フォーム ×

RSSリンクの表示 ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム ×

この人とブロともになる


QRコード ×
QR