長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

月刊文藝春秋『私の経済成長時代』投稿のこと
【2015/01/09 13:56】 エッセイ
月刊誌『文藝春秋』の昨年十月号(131頁)で、【わたしの高度経済成長時代】と題する投稿募集が掲載されていた。
思い出を千二百字(四百字詰原稿用紙三枚)の条件であったので、投稿して見た。
その結果が2月号の240頁に掲載されている。126通の応募があった。入選の35名の投稿文が掲載されている。
残念ながら私のは選外となった。

私は大学生だった48ヶ月に、此の月刊誌を48冊全て精読した。
しかも発売日の毎月十日の午前中に購入、翌日の夜には読了という大変熱心な読者であった。
此のお陰で、大変【物知り】となった。当時のテレビのクイズ番組は、ほとんど全問正解だった。
他に中央公論や展望、世界といった良質な月刊誌も隔月に購入して読んでいた。
授業中も、講義を聞くのに飽きて来ると、最後尾の席で読んだものだった。
151010月刊文藝春秋


文藝春秋は大正年間に作家の菊池寛が創立した会社で、この会社の看板雑誌で、最盛期には毎月50万部超の発行だったといわれ、良質な大衆誌として、多くの読者からの支持があったようである。
半世紀以上経過した今も、憶えている記事があるくらいである。
特に、当時京都大学の教授だった「会田雄二」さんが『日本の四大権威を叱る』という記事を寄稿した。
四大権威とは【東京大学、NHK、岩波書店、朝日新聞】のことであった。
権威主義に胡坐をかく体質への警告と記憶している。
もう一つは、昭和42年は「徳川慶喜の大政奉還」から百年だったので、明治維新から百年という国内世論の盛り上がりによる明治維新の礼賛ムードがあった。
これと、時を同じくして、徳川政権打倒への大きな梃子の役割を果たした「薩長同盟」の立役者の一人だった「坂本龍馬」を書いた司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』が、一大ベストセラーになって、司馬遼太郎人気が爆発した時期だ。
同時に、月刊文藝春秋は明治百年記念特集として、『徳川慶喜と徳川家のその後』を特集した。
大変に楽しかった憶えがある。記憶に間違いがなければ、徳川最後の将軍が明治の45年間を行き抜き、大正の年号になって死去したことに、大変感動をし、江戸時代って遠いと思っていたのが、私の両親が誕生(明治41年と43年)した時は、まだ徳川慶喜さんが生存して居た事は、私にとって歴史への開眼になった。
あれから半世紀近く経った今、私はある大学で「吉田松陰論」という講座を担当する教師をしている。
こうして、来し方を振り返ってみると、【誠に人生の出逢いの不思議】を感じる。
15歳の中卒の【田舎者】が、金の卵として上京、学歴社会の現実を知り、人生の大きな選択をして、現在その延長線上の仕事をして古希を目前にしている。不思議な思いがする。

現在でも、月刊誌としては最大の発行部数のようである。
楽しい内容が満載であるが、昔に比べて少し批判精神が弱くなったような印象がある。
今は忙しくて精読できず、発売日の前日に自宅に毎月郵送されてくるが、拾い読み程度である。


「私の経済成長時代」

昭和37年、中卒で金の卵として上京し、大学教師になるまでの半世紀の奮闘記になりますが、その起点となった昭和四十年、私の十九才の時のエピソードです。
寒村の僻地教育の学校を卒業して、ある大企業(大手電機メーカー)に入社、三年弱務めて、そこで社内の学歴による人事体系の壁に遭遇しました。
これを突破すべく、先輩に相談したところ、紹介をされて、翌年神奈川県立の定時制高校に入学した。
学業は大変順調に進みつつある時、ふと高校の掲示板で大学の入試要項を読んだのが人生選択の契機となりました。
進学するか、現職継続かに揺れ動いた半年間でしたが、意を決して退職し、進学のための都立高校へ転校しました。
鎌倉から家財道具と共に転居でした。
退職手続きは、正式に行い形の上では、惜しまれての円満退社でしたが、紹介してもらって入社しただけに心に『引っかかる』物が残りました。
その方は、人事部長でしたので、中卒の若者にとって雲の上の人で、遂に退職挨拶しないで退社しました。
さて、転校後の同じ定時制高校ですが、断然レベルが高く、転校直後の学年末試験は得意科目でさえ不合格でした。
この時の再試験を受けさせられた奮闘体験です。

定時制のため仕事を終えてから通学で、挽回を期して徹夜の試験勉強です。
これが二日続きました。四十八時間もの間、睡眠無しで仕事と学校と追試の勉強でした。
私の人生で最大の厳しい体験でした。
恐らく二度やれと言われても体験できないでしょう。
奮闘努力の結果、苦境を乗り切った私は以後必死の勉強と仕事で、間もなく転校先の高校のレベルに追いつきました。

150109早稲田大学

人生の希望に燃え、働いて大学の入学金を作りながら受験勉強に取り組み、早稲田の試験を受けて合格しました。
入学以後も夏休み返上で夏期講座の履修を行い、積極的に上限まで単位修得に励みました。
教職資格取得のための履修で他学部聴講も行いました。
女優の吉永小百合さんにあったのもその頃で、美人だなぁと夢のような気持ちで見入ったことでした。
その彼女も文化功労者となった。
残念なのは、『体育』の授業で卓球を私も吉永さんも履修したが、曜日が異なり一緒に卓球を出来なかったことである。
若し一緒にできたら、親切に私が教えてあげられたのにと悔やまれる。

私は、中学校で卓球の代表で、県大会に出場したし、中卒の会社員時代も、会社の代表選手で地区の実業団大会に出場経験したことがある。
高校も代表で県大会に出場した経験を持っているので、吉永小百合さんと曜日違いで一緒に出来なかったのは、今でも残念でしたとの思いが残っている。

いろいろあったが、仕事、学業、学費稼ぎと一人三役をこなし続け、丸8年かけて高校、大学を出ました。
将に高度成長時代に相応しい私の成長時代での必死の学業体験の日々でした。
故郷を出て九年後、早稲田の四年生で故郷の黒保根中学に教育実習に行った時は大変に歓迎されました。
教育実習期間も通常より一週間延長を依頼されての長い実習となりました。
この時の教育実習日誌は、いまも保存している。この時、隣村出身の星野富弘さんが、大けがをしている。
私は、自分のことで精一杯、富弘さんの大事故を知らなかった。後で知って、同じ同級生として、涙ながらに読んだ。
親は闘病生活の為学費を出せず、一人三役をこなし続けた私の踏ん張りを喜んでくれました。
早稲田の卒業式に、病身を押して参加した父が、今日の事を亡くなった母に見せたかったと、しみじみと語ったのを私の友人が憶えていてくれた。
肝心の私は、父親の健康を気遣うのに忙しく、記憶になかった。

慶應大学



昭和四十六年、予定通り卒業して民間会社に就職して定年までの三十七年間勤め上げました。
定年退職が元気に迎えられると確信した時、田舎の実家の隣に住む方のお世話で就職出来た会社(大手電機メーカー)の元上司の方の家に、学業の道を選択した報告を兼ねてお礼に挨拶訪問をしてきた。
45年ぶりの宿願を遂げた。その方の一族は、日本製鉄の勅任技師長を最初に務めた郷里の名門で、後に日本鋼管という会社を興した。墓参に案内して頂いた時、感慨無量だった。
在職中も勉強は怠ることなく、慶應義塾大学の通信課程へ学士入学して勉強しました。
文学部史学専攻課程で、近代日本史を集中的に勉強したことが、今に生きることになった。
更に早稲田の大学院で近代史を勉強する機会にも恵まれて生涯の修得単位は三百単位近いものとなりました。


『吉田家本・吉田松陰座像』


定年退職の一年前に現在の大学から招聘を受ける幸運に恵まれ、吉田松陰の研究に取り組むことになりました。
大変な難題ですが、将に生涯学習の人生で、毎日のように全集を紐解きます。今は多くの講演依頼を頂くようになり、学外での講演、講座の回数は間もなく百回に到達します。
この為の予習も依頼先の期待に沿えるよう、古希が間近となった今も必死の勉強生活です。
顧みますと、昭和四十年の四十八時間の踏ん張りで、苦境を正面突破できた成長時代があったからこそ現在の自分があるのだと思います。
感謝報恩の思いは、恩師のご縁で母校の現役学生の為に卒業生奨学金を作り、多くの仲間達と共に援助活動が二十年も続いていることであります。

こんなことが自分の若き時代にあった。
よくも二日間も睡眠無しで、働き、勉強したものだと思う。
もう、こんなことは二度とできない。
若くて、希望に燃えている時は、こんなことも実行してしまう。
懐かしい思い出です。
お陰で、小山台高校や群馬の黒保根中学校に講演に行きました。
小山台高校と早稲田大学には、少額ながら毎年奨学金の寄付を続けている。
人生は出会いであるとつくづく思う。
そして良き師、良き友に恵まれて幸せな気持ちで古希を迎えられそうである。
今は、感謝の思いが強く、恩返しの時と心得て、社会奉仕の機会が増えている。
島倉千代子さんではないが、本当に【人生いろいろ】と思いだされる。
関連記事
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kinnhase.blog119.fc2.com/tb.php/318-02a34fe8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

検索フォーム ×

RSSリンクの表示 ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム ×

この人とブロともになる


QRコード ×
QR