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『現在の日本の実際の姿』
【2015/06/06 21:46】 エッセイ
「国際化時代における日本のあり方」

この掲題は、「現在進行形」の問題で、大変に「なまぐさい」標題であるから、興味を喚起する方々も多いと思われる。単なる興味本位で考えるのでなく、しっかりと現実を踏まえて考えなければならない。

実は、吉田松陰は桂小五郎(木戸孝允)に対して「竹島(鬱陵島?ドクト?)」のことを調査して、日本の「国威」を示す一つの手段にしようとしたことがある。
国境線が明確でなかった19世紀当時のあり方であるが、とりわけアジアにおいては、欧州のように、つねに政治力学の反映として国境線を定める概念が乏しかったという歴史的経緯を考えなければならないだろう。
四方を「海」で囲まれ、「海」に浮かぶ「島」の帰属は、海洋利権という、当該国民の生活利益が絡んでくる日本のみならず、21世紀の国際社会においては、「のっぴきならない」主張がなされているのである。
『杉家本・吉田松陰』


この「竹島」は、現在の韓国でいう「ドクト(日本名:竹島)」で「鬱陵島(ウルルン島)」としばしが混同されるようである。しかし「鬱陵島(ウルルン島)」は朝鮮半島に近くにあり、これを日本領土と主張することは関係各国の支持を取り付けることは困難だろう。だから吉田松陰の言う「竹島」は「鬱陵島」ではなくて「日韓双方」が自国領と主張し得る「竹島・ドクト」という微妙な位置に存在するものである。たかが「岩石だらけの島」ということなかれ。領有権の背後には、利権が大きく立ちはだかっているのである。
実は、幕末に吉田松陰が云い出した、この問題は「長州藩」の問題として、幕府は関知しなかったようである。
だが、こういう問題を早くに主張した松陰は、さすがに抜け目がなかったと言える。国威発揚のためにも必要であったのであろう。

吉田松陰に『幽囚録』という作品(論文)がある。そこでは、次に様に書かれている。
「日昇らざれば則ち昃(かたむ)き、月盈(み)たざれば則ち欠け、国隆(さか)んならざれば則ち替(おとろ)ふ。故に善く国を保つものは徒(ただ)に其の有る所を失ふことなきのみならず、又其の無き所を増すことあり。今急に武備を修め、艦略ぼ具はり砲略ぼ足らば、則ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムサッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球を諭し、朝覲会同すること内諸侯と比(ひと)しからめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・呂宋の諸島を収め、漸く進取の勢を示すべし。然る後に民を愛し士を養ひ、慎みて返圉(変馭・国境)を守らば、則ち善く国を保つと謂ふべし。然らずして群夷争集の中に坐し、能く足を挙げ手を揺(うごか)すことなlく、而も国の替(おとろ)へざるもの、それ幾(いくば)くなるか」。
国威発揚のための論文である。
150607東アジア


ただ、ここの部分を拡大解釈して、昭和十年代の海外進出」の大義名分の論拠として吉田松陰の「大陸進出論」として、かつがれ、松陰ブームとなったことも事実である。
翻って、今日の日本は、隣国から「実効支配」を受けっぱなしである。何故か? 日露戦争前後の国際社会で信用の無かった「孤立した日本」でも、当時は「世界の一等国」(第一次世界大戦)で、正面切って「異議」を申し立てる国がなかったともいえる。
人種差別は現代では消滅したかのような様相を呈していしているが、どうしてどうして、深層の水面下ではくすぶり続けている。
「原爆投下」は人種差別であった。また「北方領土未返還」は、伝統的な、「ロシアの南下政策」の一環であると同時に、国後、択捉の排他的経済水域が絡んでいる。このオホーツク海南部の「漁業権」の持つ経済的利益は、軽く見てはいけない。あまつさえ、大戦終了時に「北北海道」を分割して、ロシア領土としたいとした「領土的野心」は、さすがにルーズベルトに反対されて実現しなかったから助かったものの、大変な事態となりかねなかったのである。

何百年かの後には、根本的に解決できるかと愚考して見るに、残念ながら否定的な考え方しか思い浮かばない。
現在の日本が「隣国」から、「ナメラレ」ているのは、軍事的脅威の懸念がないからである。どんなに奇策を用いようと、どんなに憲法解釈を閣議決定して変更しようとしても、「戦争の放棄」と「軍備を保持しない」とした憲法の条文は、国際紛争(特に日本国民の財産生命を守るため)に自衛隊を動員させるということは無理がある机上論である。憲法の精神を枉げてしまうたぐいの何物でもない。誰が読んでも「日本国憲法」は、戦争放棄と「国家としての戦力保持」を持てない。
堂々と「改憲」手続きを、憲法の定める所に従って改正しなければ、だめである。

政治家は、これに対して真正面から挑まない。国民の賛成が憲法の規定する改革の条件を満たす所まで賛意が得られない。
政権を維持する方が先で、堂々と勝ち負けを度外視して賛否を問おうとしない。だから、隣国から経済以外は「尊崇の念」を抱かれないどころか、小ばかにされている。いくら国内的に明治維新を称えたとしても、僅かに八十年で國家は自滅し、吉田松陰の言う「独立不羈三千年の大日本」が幻になってしまった。「国破れて山河あり」だが、人間の営為としての国家は「昭和二十年からサンフランシスコ講和条約」まで、独立国家ではなくなってしまった日本の現実を、深く考えて反省しなければならないと思う。

最近の朝日新聞や文藝春秋ライブラリーに、吉田松陰の評伝記事が書かれた。昭和11年に刊行された『吉田松陰・玖村敏雄著』が「教育者・吉田松陰」像に否定的であり、尚且つ「危険人物視」している。自分の生涯を懸けて、「日本の植民地化」を防止しようとした吉田松陰に対して大変残念な記述である。松陰の「尊王攘夷」は、砲艦外交による外交手段から派生したものということには触れられていない。尚且つ、砲艦外交の延長線上にある「幕府政治」の西欧諸国の通商申入れを危険として、無断勅許にて調印し、さらにそれへの批判や反対に対する弾圧姿勢にたいして、やむなくテロ的行動を採用せざるを得なかったことにも言及されていない。所詮、評論とはそんなものなのだろうか。部分にこだわり、全体を見ない、観てきたような評論家という言葉は、現代でも生きている。吉田松陰の尊王論には『神国由来』、『文政十年の詔』、『後期水戸学』、そして父・杉百合之助の生き方や皇室観に言及して、尚且つ「攘夷」をやむなく提唱した経緯などには全く触れられていない。残念なことである。
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