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『村田清風全集』刊行のこと
【2016/01/20 19:03】 エッセイ
『村田清風全集・発刊の辞』

贈正四位村田清風は、人格、識見ともに一世に傑出し、幕末五十年間、五代の藩主に歴事して、藩政の枢機に参画した。その遠謀深略、よく三百年の流弊を一掃して、士気の作興と民力の培養につとめ、遂に長州藩をして維新回天の大業翼賛の先駆者たらしめ得た偉大な業績は、防長人物史上燦然として不滅の光を放つものである。

明治元年夏、木戸孝允は清風の旧廬をたずねて、その遺徳を偲び、清風松の碑を建て、これに題して、 村田翁生于太平無事之世 練武修文掃陋弊 我藩士風於是一新 以至今日 其功其徳豈不頌揚乎戊辰夏 予自京師歸 過翁旧園見所撫之松 慨然有感 乃建此碑以戒後人之剪伐 と切なる感懐を述べている。これに徴しても清風の盛徳偉業が、維新の大業を翼賛する上に、いかに重要な素地をなしたかを知るに足るのである。
160202村田清風全集


清風は夙に人材養成の重要性に着眼して、藩学明倫館の大拡張と江戸に有備館の新築を建策し、練武修文の教育法を実行せしめた。また、財政を整理し勤倹を奨励し、産業の振興と経済再生の実をあげるとともに、神器陣の創設と武備の充実につとめ、或は民政の更張刷新に資するために、藩内の風土誌を調査集成せしめ、更に藩祖追孝のために元就以下三代の実録を改輯せしめたるが如き、何人も感嘆欽仰して措かないところである。

いわゆる天保改革の当事者としての清風が、身命を賭した畢生の大事業は、財政危機の打開と藩風の刷新を二本の柱とし、藩主毛利敬親の絶対の信頼に支えられて、多年の経験と抱負を傾け、ひたすら正しい政道の復興を目ざしたのであった。それとともに清風の志壯の一特色をなす海防論においては、もはや藩という封建社会の領域をのりこえて国家意識に立ち、武士中心の階級思想を克服して民族意識への発展を示した。さらに清風は国禁を冒して自家に集蔵するところに洋書を、『志厚心掛ある人』に読ましめ、長州藩の洋学への異常な関心を高めたことが、武備の充実と相俟って、維新の舞台へ登場せしめた一大原因ともなったのである。

しかし、結果においては、その余りにも清く、正しく、かつ厳しきが故に、心なき世論の反撥をうけ、特権商人と結託した一部反対派の策動によって、退陣を余儀なくされたけれども、その正しさは、そのまま周布政之助に受けつがれ、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允らに伝えられて、遂に維新回天の大事業として結実したのである。

清風は弘化二年、六十三歳、職を辞して三隅山荘に帰住したが、一代の泰斗として上下の信望厚く、藩士並びに他藩人の来訪して言を聴き教を受ける者、常に門に絶えなかった。其の後安政二年の春に至り、内外の情勢逼迫を告げ、新事態に対処するため、再び藩政改革の議が起るや、藩主敬親は政務役周布政之助をして清風に出盧を懇請せしめた。清風は藩主の信頼に感激し、七十三歳の病躯に鞭って救国の大任に起ち上がった。されど出仕僅かに旬日ならずして宿痾急変してその職に殉じたのであった。
160202村田清風の写真


当時、野山獄中において清風の訃をきいた吉田松陰は、土屋䔥海に書を送って、「僕幽囚以来、復た世事を省みず、喜悲中に動く所なし、忽ち翁の訃を聞きて、覚えず痛哭す。独り村田氏の為に哭するに非ず、乃ち国家の為に哭するなり。」として、翁の伝記を作るように委嘱しているのである。松陰はさらに小田村伊之助(後の楫取男爵)のも書を寄せて、「翁は近代の人物、物故いたし候事実に大慟すべきなり。ただ伝ふべきはその行実なり。(略)実に翁の行実は翁を伝ふべきのみならず国家更張の美擧もこれによりて伝はり生すべく云々」と述べて、同じく翁の伝記を作って、その偉業を不朽に伝えることを依頼しているのである。清風の伝記については、後に木戸孝允、品川弥二郎その他のひとびとによって編修を思い立たれたのであるが、何分にも難事業であるために、二三の小伝の外には今日に至るも遂にできなかったのである。

昭和十一年、維新七十年を迎えるに当たり、本県上下を通じて、明治維新翼賛の礎石を築いた清風を追慕するの情極めて切なるものがあって、記念事業として「村田清風全集」を編纂することとなり、さきに「吉田松陰全集」を編纂したわが玉口賢教育会がその任に当たることとなった。編纂委員を吉田祥朔、小川五郎、御園生翁甫の三氏に委嘱し、編纂顧問に故文学博士渡辺世祐氏を推して事業に着手し、爾来約十年の歳月を費してようやく稿成り、昭和二十年の春印刷に着手したが、間もなく終戦に逢着し、遂に全集刊行の企図を中止するのやむなきに至ったことは遺憾の極みであった。しかしながら、其の後十余年の間、たゆむことなく資料の蒐集、補稿、増訂につとめるところがあった。しかして、今や時運の好転にめぐまれ、江湖諸賢の激励賛助を得て、今回これが刊行を成就し、清風の遺著・遺文を広く世に公にし、その行実を不朽に伝え、維新史研究の活資料を提供し得るに至ったことは、まことに同慶にたえないところである。

終りに、多年編纂に従事せられた編纂委員の多大の労苦、とくに主任吉田委員が種々の障碍を克服し、多くの犠牲を払って、よく本全集の完成に尽された献身的努力、並びにこの事業の達成に終始賛助協力を与えられた有志諸賢に対し、深甚の謝意を表する次第である。

昭和三十六年十二月
山口県教育会長  二木健吾
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