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湊川神社『嗚呼忠臣楠公の墓』
【2016/03/24 21:38】 エッセイ
『嗚呼忠臣楠子乃墓』・吉田松陰が感激した碑文

嘉永四年三月十八日、第一回の「江戸軍楽修行」に向かった吉田松陰は、萩を出発してから凡そ二週間後に、「摂津の湊川神社」に立ち寄り、楠正成の墓碑である『嗚呼忠臣楠子之墓』を拝して大変な感激を催した。
このことは、松陰の書き綴った「東遊日記」に詳しく書き残されて「吉田松陰全集・第九巻」に収載されていて、読む者をしてある種の感慨を催す記述となっている。
勤王家であった父親からの思いを受け継いだであろうと思われる吉田松陰。前年の「鎮西旅學」で多大な成果を挙げ、松陰の人間形成に大きな影響を及ぼしたと言える「陽明学」や「水戸学・新論」との出会い、そして「アヘン戦争」に関する書籍に接することができた。このことは、後の吉田松陰にとって「世界観」を確立する契機ともなった。長州藩の先達であった「村田清風」の持論であった『四峠の論』に示唆されての潘外雄飛となる諸国遊学の実践機会ともなった。
この体験によって、「山鹿流兵学師範」としての修行時代の松陰は、「机上論」から現実の「実学」への開眼の機縁を持つことになった。潘政府への遊学願いは、「平戸潘への軍學修行」としてであった。
江戸期の長崎は【世界の情報を得る地】として、唯一の海外情報を得る場所でもあった。
【江戸時代の長崎】は、幕府が「遠国奉行」として長崎奉行を設置し、情報と交易による利益を一元的に管理・蒐集する特別な意味を持った直轄地として重要な役割を持っていた。半年近くに及んだ鎮西遊学は、大きな収穫を得たのであった。
そこで知ったのは、師である「葉山佐内」の蔵書の殆どが、江戸から購入した書籍であった。松陰は帰国するや、江戸での修行を直ちに希望したのである。折しも、藩主の参勤交代で随行しながら「江戸修行」の推薦を受けて、図らずもその機会が訪れてきたのである。三か月の後の嘉永四年三月五日に、念願の江戸修行に旅立つことになる。その十五日後に、湊川神社に詣でる機会に遭遇したのであった。
生涯を閉じることになる二日前に書き上げた『留魂録』の表題の意味するところとなった、「肉体は滅びても魂は永遠」という生涯のテーマとなった命題は、この湊川神社における「嗚呼楠子之墓」の碑文に記されていた「永遠の魂」との出会いであった。
吉田松陰全集に『七生説』という論稿がある。松陰の死生観に大きな影響を与えたと考えられるこの七生説は、南北朝動乱時代の「楠正成」の後醍醐天皇への忠誠を模範としたものであった。ここから松陰の死後への信仰ともいえる、「霊魂の不滅」が胚胎することになったものと考えられる。今日、下田の弁天島の石碑にそれが遺されていて、私達も読むことが出来る。吉田松陰全集の第九巻に、湊川神社の碑文に感激して賦した漢詩を見ることが出来る。
その「原文」および「読み下し文」を記します。
「尊王家」としての吉田松陰を感激させた「嗚呼忠臣楠子の墓」は、以下のような漢文である。これは、徳川光圀の依頼によって「朱舜水」の撰文になるものであって、後年の松陰が「水戸学」の大なる影響を受けた、記念碑ともなるものであった。
160324湊川神社の楠子の墓碑160324湊川神社160324湊川神社の光圀による頌徳文150420吉田松陰





  [楠公碑陰記]      朱 舜 水 
忠孝著乎天下日月麗乎天天地無日月則晦蒙否塞人心廢忠孝則亂賊相
尋乾坤反覆余聞楠公諱正成者忠勇節烈國士無雙蒐其行事不可概見大
抵公之用兵審強弱之勢於幾先決成敗之機於呼吸知人善任體士推誠是
以謀無不中而戰無不克誓心天地金石不渝不爲利囘不爲害怵故能興復
王室還於舊都諺云前門拒狼後門進虎廟謨不臧元兇接踵構殺國儲傾移
鐘簴功垂成而震主策雖善而弗庸自古未有元帥妒前庸臣專斷而大將能
立功於外者卒之以身許國之死靡佗觀其臨終訓子從容就義託孤寄命言
不及私自非精忠貫日能如是整而暇乎父子兄弟世篤忠貞節孝萃於一門
盛矣哉至今王公大人以及里巷之士交口而誦説之不衰其必有大過人者
惜乎載筆者無所考信不能發揚其盛美大德耳
 右故河攝泉三州守贈正三位近衛中將楠公贊明徴士舜水朱之瑜字
  魯璵之所撰勒代碑文以垂不朽





読み下し文

忠孝天下に著(あらは)れ、日月(じつげつ)天に麗(かがや)く。 天地日月無ければ、則ち晦蒙(かいもう)否塞(ひそく)。 人心忠孝を廃すれば、則ち亂族相尋(あいつ)ぎ、 乾坤反覆す。 余(われ)聞く楠公諱は正成は、忠勇節烈、国士無雙なり。 其の行事を蒐(あつむ)るに、概見すべからず。 大抵公の兵を用ふる、強弱の勢を幾先に審らかにし、成敗の機を呼吸に決す。 人を知って善く任じ。 士を体し誠を推す。 是を以て謀(はかりごと)中(あた)らざるなく、而して戦克たざるはなし。 心を天地に誓ひ、金石渝(かは)らず、利の為に回されず、害の為に怵(おそ)れず。 故に能く王室を興復して舊都(きゅうと)に還る。 諺に云ふ、前門狼を拒(ふせ)げば、後門虎
を進む。 廟謨(びょうも)藏(よ)からず、元兇踵(きびす)を接ぐ、国儲(こくちょ)を構殺(こうさつ)し鐘簴(しょうきょ)を傾移(けいい)す。 功成るに垂(なんなん)として、主に震ひ、策善しと雖も、庸ひられず。 古より未だ有らず元帥前に嫉(ねた)み庸臣断を専らにして、大将能く功を外に立つる者は。 卒(つい)に之身を以て国に許し、死に之(ゆ)いて佗なし。 其の終りに臨んで、子を訓するを観るに、従容義に就き、託孤(たくこ)寄命(きめい)。 言私に及ばず。 精忠日を貫くに非ざるよりは、能く是(かく)の如く、整にして暇ならんや。 父子兄弟、世々忠貞を篤うし、節孝一門に萃(あつま)る。 盛んなる哉。 今に至り、王公大人より以て里巷(りこう)の士に及ぶまで、口を交へて誦説(しょうせつ)して之れ衰へず。 其れ必ず大いに人に過ぐる者あらん。
惜しいかな、載筆(さいひつ)の者、考信する所なく、其の盛美、大徳を発揚する能(あた)はざるのみ。
 右故摂河泉(せっかせん)三州の守贈正三位近衛中将楠公の賛は、明の徴士舜水朱之瑜(しゅんすいしゅしゆ)字は魯璵(ろよう)の撰する所なり、勒(ろく)して碑文に代へ、以て不朽に垂(た)る。
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