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『吉田松陰自賛自画像』吉田家本
【2016/07/11 13:41】 エッセイ
吉田松陰自賛肖像                東行日記・吉田家本 安政六年(一八五九)五月十六日)

十六日  朝、肖像の自賛を作る。像は松洞の寫す所、之れに賛するは士毅の言に従ふなり。その賛に曰く。

三分出盧兮諸葛已矣夫一身入洛兮賈彪安在哉
心師貫高兮而無素立名志仰魯連兮遂乏釈難才
読書無功兮朴学三十年滅賊死計兮猛氣廿一回
人譏狂頑兮郷党衆不容身許家國兮死生吾久齋
死生不動兮自古未之有古人難及兮聖賢敢追陪

  己未五月吾有関左之厄時幕疑深重復歸難期余
  因以永訣告諸友謀使浦無窮肖吾像吾自賛之顧
  無窮知吾者豈特写吾貌而己哉況吾之自賛乎諸
  友其深蔵之吾即磔市此幅乃有生色也
             二十一回猛士藤寅撰幷書

吉田松陰結跏趺坐小

三分廬を出づ、 諸葛已んぬるかな、一身洛に入る、賈彪安くに在りや。
心は貫高を師とするも、而も素より立つる名無く、志は魯連を仰ぐも、遂に難を釋くの才に乏し。
読書功無し 樸学三十年、滅賊計を失す猛気二十一回。
人は狂頑と譏り、郷党衆く容れず身は家国に許し、死生吾れ久しく斉うせり。
至誠にして動かざるは、古より未だ之れ有らず、人は宜しく志を立つべく聖賢敢えて追陪せん。

己未五月、吾れ関左の厄有り。時に幕の疑ひ深く重くして、復た帰ること期し難し。

余、因って永訣を以て諸友に告ぐ。

諸友謀りて、浦無窮をして吾が像を肖らしめ、吾れをして自らこれに賛せしむ。

顧ふに、無窮は吾れを知る者なれば、豈に特だ吾が貌を写すのみならんや。

況や吾れの自ら賛するをや。諸友其れ深くこれを蔵せよ。

吾れ即し市に磔せらるとも、この幅乃ち生色有らん。
二十一回猛士藤寅撰并書


賛文大意

私が尊敬する諸葛孔明や賈彪はもうこの世におらず、範としていた貫高や魯仲連のような功績を残す力もなかった。

こうした先賢の書を読み、国賊を滅ぼそうとしたが果たせなかった。

故郷の人は私を非難するが、私は国のために命を投げ出す覚悟は出来ている。

誠意を尽くせば、心を動かさない人は古来一人もいないと言われているが、人は、是非とも高い志を立てるべきであり、(困難な状況でも)聖賢の志を私も追い求めたい。


跋文大意

安政六年五月、私は江戸に送られるが、二度と帰ってこられないと思い、周りの人々に最期の分かれを告げた。

人々は、松浦松洞に私の絵を描かせ、私に言葉を添えることを求めた。

私をよく知る松洞は、この絵に外見だけを写そうとしたのではない。

ましてや私が言葉を添えるのだから。人々よ、この絵を末永く保管して欲しい。

もし私が処刑されても、この絵に私は生きているのだ。


【語訳】
東行前日記 = 安政六年五月一四日、松陰東送の幕命が下ったことを知らされてより、同月二五日出発するまでの日々の漢詩文・和歌を中心としてまとめられている。諸所に漢文で記事が挿入され永訣遺言の集ともいうべきもの。
自賛 = 画に題して画面中に書かれた詩・歌・文を賛といい、それを自分で書いたもの。
松浦松洞 = 一八三七―六二 名は温古、号は松洞。無窮は字。通称亀太郎。萩の魚商の子。松下村塾生。四条派の絵を学ぶ。安政六年、東送直前の松陰の肖像を画く。公武合体論に痛憤し、自殺。二六才。
士毅 = 小田村伊之助。 一八二九―一九一二 名は哲、字は士毅、号は彝堂。長州藩医松島家に生れ、藩儒小田村家を継ぐ。松島瑞益の弟で、小倉健作の兄。松陰の次妹寿と結婚。寿の死後、松陰の三妹と再婚。のち楫取素彦と改名。大正元年没。八四才。
三分 = 天下三分のこと。三国時代、魏・呉・蜀の三国鼎立をいう。
盧を出づ = 諸葛孔明が、蜀の劉備の三顧の礼に感激して、草ぶきの住まいを出て仕えた。

諸葛 = 諸葛孔明。一八一=二三四三国時代の蜀の忠臣。名は亮、字は孔明。諡は忠武。蜀漢の劉備の三顧の礼による招きを受けて仕え、劉備死後は子の劉禅を補佐して魏と戦ったが、五丈原で病死した。
賈彪 = 後漢の人。賈氏三虎の一人。桓帝のとき、党禁(党錮の禍。後漢末、宦官が政権を専らにしたので、気節の士はこれを憎み攻撃したのに対し、宦官はこれを党人と読んで終身禁固とした。)が起った時、一身で都に入ってこれを訴え、遂に桓帝は党人を赦すに至る。
貫高 = 前漢の人。趙王・張敖の大臣。高祖劉邦が趙を訪れたとき、あぐらをかいたまま張敖をののしったので、六十才余であった貫高は張敖のために高祖を殺したいと申し出て、捕えられた。高祖はこれを壮士として赦したが、貫高は自殺した。
魯連 = 戦国時代、斉の高士、魯仲連のこと。俗世間から遠ざかり、仕官しなかったが、進んで難問にいどみ難問を解決した。
朴学 = 素朴で地味ながくもんのことで経学をさす。ここでは、自己の学問に対する松陰の謙辞。

猛気二十一回 = 私(松陰)自身の虎のような勇猛心。「二十一回猛士」の説。に「杉の字、二十一の象wり、吉田の字も亦二十一回の象あり吾が名は寅、寅は虎に属す。虎の徳は猛なり。吾卑賤にして孱弱(身分は低く体は弱い)、虎の猛を以て師と為すに非ずんば、安んぞ士たることを得ん。」とある。
狂頑 = 理想が高くて実行が伴わず、かたくななこと。
身は家国に許し=自分自身の命は藩国に捧げることにしており。
死生 吾久しく斉うせり = 死も生も、以前からずっと同じで区別はないと思っている。至誠一如の考えで、いつも死を覚悟していることを暗示している。

死生にして動かざるは、古より未だ之れ有らず = 『孟子』の離婁上の言葉「至誠而不動者、未之有也」のほぼそのままの引用。
古人及び難きも = 諸葛孔明をはじめとする昔の立派な人々ほどにはいかないまでも。
聖賢 敢て追陪せん = 聖人・賢人の道を求め進んで追慕しよう。
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