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【週刊現代】掲載の私の書斎
【2016/12/02 12:49】 エッセイ
「書斎のある家への憧れ」

私の生家は群馬の赤城山麓で、八人家族の小農家だった。夕食時、病身の父が「丸いちゃぶ台」の定位置に座り、幼い私達に中国の出征談を毎日聞かせてくれた。夕食時が「勉強兼家庭教育の場」でもあった。後に私と娘が「日本史」の教師となったのもこんなところに起因しているかもしれない。なぜか、今もその光景が懐かしく思い出される。私が大学生の頃「若者たち」という映画があった。それを見た時、私の家がモデルだったのではないかと本気で考えた。
 年長の兄姉が、必死に働いて家計を支えていた。ですから、兄姉は高校進学が経済的事情で出来なかった。私も十五才の中卒で上京して会社で働きながら夜間高校に通った。

161202私の書斎 知行合一写真150420正装の吉田松陰



そして、仕事と勉強と貯蓄に励み、自分で学費を全て工面して大学進学をした。必死に家計を支える兄姉に対しては、自然と家庭内では長幼の序が形成されていた。だから、兄姉は全員仲睦まじかった。そうした反面、いつもヨーモアの交歓があり、貧しいながらも笑いの絶えない家だった。こんな私の家は、まさしく「憩いと教育の場」であった。兄姉が競って新聞小説の感想談義をしていた。こうした家庭に育った私は、「読書や音楽を楽しめる書斎のある家」に住みたいとの強い願いがあった。
この願いは早くに実現し、私は二十代で自宅を購入して隣家に気遣う子育てをしないようにした。数年後に娘から「友達を連れて来られる家」が欲しいといわれて、もう一度踏ん張り現在の家を購入した。ここで念願の書斎のある部屋を持った。自分専用の書斎で、所せましと本が並んでいる。吉田松陰の研究をしていることから「知行合一」を書家に注文して書いてもらい、向かい側に「大学の恩師」の写真とともに額に入れて飾ってある。

161202難波田先生 私の書斎161202早稲田大学大隈講堂


恩師は『日本の経済学を築いた五十人』に登場する先生である。
人は生涯に三度家を購入すると念願の家に住めるといわれるそうだが、私は二度である。多少の満たされないことはあるが、それはそれでよしとしている。現在「さいたま市」に住んでいるが、それは実家に帰省するのに便利であること、子供の通学は自宅からと願っていた結果である。この両方ともに条件が満たせて、子供は小学校から大学まで自宅から通えた。新宿まで電車で三十分の距離だが、近隣には生産緑地としての田畑が残り、埼玉県でも指折りの由緒ある公園もあって、四季それぞれの風景が愉しめる「我が家」です。
夕暮れには「さいたま新都心」の夜景が美しく眺められる。読書後の日課にしている散歩中もそれを楽しめる、とても良い環境の中で、念願の「書斎のある家」での「楽しい我が家」の生活を満喫しています。


このエッセイは、私が「大和ハウス・石橋信夫記念館文化フォーラム」に出演したことが機縁となって依頼が来ました。
大和ハウスの関連からの依頼でしたので『家』に関する話題と、個人的な思いを綴ってくださいとのことでした。
『若者たち』の映画を見たときは、本当に不思議な気持ちになりました。
田中邦衛役に相当するのが、私の長兄でした。役柄とイメージがダブって懐かしいやら、感動の涙が自然と出てきたものだった。
末弟が早稲田大学を受験するのも全く同じで、『ボン・大学へ行け!』 と田中邦衛が、無い学資を何とかすると決心するくだりは、私の人生と重なって、他人事には思えなかった。我が家の再現をした映画のように錯覚したものです。
貧しいながらも、兄弟が力を合わせて生き抜いていく素晴らしい映画でした。我が家にはそのDVDが購入してあります。
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