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【オランダ東インド会社】
【2017/04/04 17:06】 エッセイ
【オランダ東インド会社】
オランダはスペインの支配を脱するとともに登用に進出を企て、国内各地に歩が四インド貿易の会社が十四も乱立した。
オランダの連邦議会はスペイン・ポルトガル船との対抗上、これら諸企業の統合を勧め、1602年、連合オランダ東インド会社を成立させた。設立当時の資本金は六百四十五万万グルデンだった。
その前身である六つの合資会社は支社の形で存続し、カーメルと呼ばれた。
取締役会は最初七十三人で、各カーメルの幹部が横滑りし、のち六十人に減じた。しかし最高執行機関は「十七人会」と呼ばれた理事会で、その出資額に応じて書くカーメルから選ばれた。
中でも会社の全資本金の半額以上出資したアムステルダムは、十七人中八人を占めたから、連合東インド会社は、連邦を事実上支配するアムステルダム商業資本の手中にあるも同樣であった。
170404オランダ国旗出島170404長崎170404オランダ交易船170404オランダ位置図

国から与えられた特許状によれば会社は設立の02年以降二十一年間、喜望峰以東、マジェラン海峡以西の如何なる主権者とも条約を結ぶ権限を持ち、また軍隊をおき、城塞を築き、貨幣を鋳造し、地方長官・司法官を任命することを認められた。
会社は東インドにおける命令系統統一の為09年から総督を任命し、その駐在地としてバタビア(ジャカルタ)を建設し(一六一九年)、バタビアは往年のマラッカに代って、インドネシア東部の主要商品である香料を集積し、西方へ送る中継地となると同時に、アジア内各地間の貿易の中心地となった。
このほか、日本・台湾・インドシナ半島・マライ半島・インドネシア・インド洋沿岸・ペルシャ湾沿岸などにも貿易のための商館を設け、またポルトガル人・スペイン人・イギリス人に対抗するため要塞を築き、これらをつなぐ強力な艦隊を組織した。
これらの商館の中でも、日本商館は、貿易に不可欠な金・銀・銅の補給地として最も利益をあげた商館の一つだった。
また、ヨーロッパの主要な輸入品である香料を、安く、独占的に入手するため、香料の栽培地域を限定し、その他の地域ではこれを伐採させたり、予定の生産額を上回る香料は焼却して、価格を釣上げたりした。
そしてこれに反抗する原住民は殺したり、強制移住させたりした。
これらの収奪政策を行うため、会社は次第に貿易だけでなく、領土獲得に関心を持ち、十八世紀半ば以降、事実上全ジャワを支配下においた。
そのため軍事費は年々増大し、その上会社職員の腐敗、汚職、密貿易の横行などにより、十八世紀には、会社の利益は激減した。
その経営は終始恣意的かつ秘密主義的で、大株主の利益のみはかり、中小株主からしばしば出された会社の経理公開の要求もほとんどかえりみられなかった。
自国の工業製品の販路としての意義を持たぬオランダの東インド会貿易は、香料の商品価値の減少とともに衰え、会社の経営は極度に困難となり、1799年に解散するに至った。
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