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『文政十年の詔と神国由来』
【2010/08/20 15:33】 エッセイ
江戸送りは生きて帰れぬと覚悟して、父親に贈った詩に書いてある内容と解説です。
吉田松陰は、二度目の野山獄収監中の安政6年5月に幕府から呼び出しを受けた。嫌疑は「安政の大獄」で初期に逮捕された梅田雲濱との陰謀などの確認であった。江戸に向けて出発の時に、「父、杉百合之助」に別離を告げた詩を前に紹介した。『家大人に別れ奉る詩』の中に、『耳には存す文政十年の詔』とある。短文なのでこれを読下し(原文は漢詩)で紹介します。


文政十年二月十六日
詔書
詔 徳を旌(あらわ)さざれば即ち勧善の道欠け、賞を致さざれば即ち報功の典廃る。征夷大将軍源朝臣(みなもとのあそん・徳川家斉)、武四方を鎮め、文万方に覃(およ)ぶ。久しく爪牙の職を守り、重く股肱の任を荷い、黎民(れいみん)鼓腹の楽しみ有り、蛮夷夏を猾(さわが)すの憂い無し。朝家益(ますます)安けらく、海宇弥(いよいよ)平かなり。曩(さき)に、宮室を新たにし、規模古に復す。交政典を修め、祭祀廃れたるを興す。其の徳宏大にして、其の功豊盛(ほうせい)なり。己に武備の重職を極む、未だ文事の尊官を加えず。今太政大臣に任ず、宜しく左右近衛府生各一人・近衛四人・随身兵仗を賜わり、式(もっ)て丕績(ひせき)を表し、普く天下 に告げ、朕が意を知ら俾(し)べし。
仁孝天皇24.5.9


これは、皇居の衰微を見かねて再建に尽した11代将軍、徳川家斉への感謝と共に「太政大臣」の遺贈の詔書である。「宮室を新たにし、規模古に復す」とあるのがそれであるが、松陰の父は皇室の衰えと受け止めて嘆いた。
そのために、「生きて帰れぬかもしれない江戸送り」に当って、父のためにこの詩を贈った。この詩にはもう一つ、「口には熟す、秋洲一首の文」とあるが、これは「神國由来」といって、「吉田流神官・玉田永教」が長州を訪問した際に語った「日本の国体」を略述したものを父が愛読したものである。(吉田松陰全集:別巻、関係雑纂328頁に収載)(実は、語りを書写したもので、文政四年辛己五月五日了と記述してある)
神国24.5.9


その末文を記すと、『希(こいねがわく)は又々神明の冥助に依て、生を神国に得んもの也・・・一つ心の源を清らかにして、神代の法を崇、正直の根元に帰て、邪曲の末法を捨、今宗源の妙なる行を願ふ者也と、敬白す、』とあって、「神代の法」を尊び「邪曲の末法を捨」つまり「仏教」を捨てよ!との文意が読み取れる。

これを、松陰は幼児から兄と共に、敬神家の父から畎畝にて暗誦させられた。別離に当って父に捧げた、親孝行の松陰の人間性の一端を物語る詩である。

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