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『子遠に語ぐ』安政六年一月
【2019/08/03 14:25】 エッセイ
子遠に語ぐ  
(己未文稿野山日記)  安政六年正月二十七日(一八五九)三十歳

念七日
家兄臨まる。星巌の往復、幕府弁解等数密議あり。又前田の説あり、諸友の絶交の事に係る。
夜、子遠獄に来り、船越清蔵.村田蔵六、萩に来るの事を談ず。

170331正装の吉田松陰160621松下村塾塾舎150405野山獄小



    ○
  子遠に語ぐ  正月念七夜
桂生吾れをして諸友と絶たしむ、今謹んで其の言を奉ぜり。独り汝は絶つべからざるものの存するあり、故に絶たず。
汝其れ之れを察せよ。防長絶えて真の尊攘の人なし、吾れと雖も復た尊攘を言ふを得ざるなり。
然らば則ち防長唯だ汝一のみ。切に自ら軽んずるなかれ。

汝、国を去りて後は僧となるを妙と為す。一には決志の機あり、二には身を隠すの便あり、三には生活の計あり。
且つ僧侶にして反って天朝を尊ぶことを知る者あり。禅学も亦心志を定むるに足るものあり、是れ亦一益なり。
兵は精なるを貴び、衆きを貴ばず、況んや有志の士は募りて求むべきものに非ざるなり。
切に記せよ、伏見の事、万々敗蹶背ば即ち嘯集して賊となれ。頼政の事は汝固より自ら任ずる所なり。
但し今日の時勢、宜しく佳賊となるべし、切に無頼の賊となるべからず。
徳川は万々扶持すべからず。徳川を扶持するは、聖上の大仁なり。
然れども仁既に至らば則ち之れに継ぐに義を以てせざるを得ず、義尽くれば則ち仁其の中に在り。
天祖の訓へに曰く、「宝祚の隆えまさんこと、天壌とともに窮りなし」と。
此の言、天胤世々信奉すれば則ち天下太平なり。
草莽の臣切に謂へらく、聖上社稷に殉じたまひ、天下の忠臣義士一同奉殉せば、則ち天朝寧んぞ再興せざるの理あらんやと。
天朝の論、万一姑息に出でば、神州中興の理なし。
吾れ将に中興の論を上らんとするも、思慮未だ足らず、且く後日を待つ。
墨夷を屈せしむるの辞、吾が説を首と為す、聴かずんば則ち平象山の説之れを佐けん、猶ほ聴かずんば則ち干戈を用いて可なり。
是れ亦仁至り義尽くるの論なり。汝識高く胆大、吾れの愛敬する所なり。
恨むらくは才足らず、学尤も足らず、怨讎の気過当なり。是れ汝の病なり。
必ず荘四を罪せんと欲するが如き、是れ過当の怨讎なり。
然れども吾れの有隣を怒るも、亦此れに類す、並に宜しく改むべし。
才は言ふに足らず、学に数種あり、礼楽制度は興王の規模にして、自ら其の人あり。
戎馬甲兵は攘夷の籌略にして、自ら其の人あり。但だ、真心実意、自ら信じ自ら靖んず、道学の心法、真箇に味あり。

知行合一24.3.30伝習禄



吾れ曾て王陽明の伝習録を読み、頗る味あるを覚ゆ。頃ろ李氏焚書を得たるに、亦陽明派にして、言々心に当る。
向に日孜に借るに洗心洞箚記を以てす。大塩も亦陽明派なり、取りて観るを可と為す。
然れども吾れ専ら陽明学のみを修むるに非ず、但だ其の学の真、往々吾が真と会ふのみ。

今の世界、老屋頽廈の如し。是れ人々の見る所なり。
吾れは謂へらく、大風一たび興って其れをして転覆せしめ、然る後朽楹を代へ、敗椽を棄て、新材を雑へて再び之れを造らば、乃ち美観とならんと。
諸友は其の老且つ頽なるものに就き、一楹一椽を抜きて之れを代へ、以て数月の風雨を支へんと欲す。
是れ吾れを視て異端怪物と為して之れを疎外する所以なり。汝に非ずんば安んぞ吾が心を知らん。
是れに由りて之れを観るに、尊王攘夷豈に其れ容易ならんや。須らく中大兄と鎌足と南淵先生に往来し、路上に如何の話を為せしかを思量すべし。
(余書してここに至り覚えず泣下る。自ら其の由る所を知らざるなり吾れ本と愚物なり、然れども吾が家の家風学術、篤厚真実を以て世々相伝ふ。

ここを以て吾れの敬愛する所と、其の吾れを敬愛する者と、皆忠厚の君子なり。
之れを軒輊すること実に難し、然れども一、二之れを言はん。
旧友は前書に略ぼ之れを言へり。新知の暢夫、識見気魄、他人及ぶなし。
但だ一暢夫を得て之れに抗せしむるに非ずんば必ず害を生ぜん。
然れども両暢夫相抗すれば必ず一暢夫の斃るる者あらん。是れ亦憂ふべきなり。此の間の苦心、吾れ桂と一言せしに、桂も之れを首肯せり。
無逸の識見は暢夫に彷彿す。但だ些の才あり。是れ大いにその気魄を害す。
気魄一たび衰へば識見亦昏む、歎ずべし歎ずべし。諷するに老屋の説を以てせば、或いは一開発あらんか。
抑々面従腹誹せんか、亦未だ知るべからず。但し前日絶粒の事の如き、八十.子楫.無咎、各々諌書あり。
その懇惻は則ち感ずべし、然れども吾れを罵りて短慮と為し無益と為し、人の笑ひを胎すと為すこと、乃ち士毅と雖も論じ得て透らず。
試みに之れをして無逸に語らしめば、無逸は則ち微笑せんのみ。固より吾れの慮短きに非ざるも、才の長ぜざるを知ればなり。
嗚呼、鐘子期遇ひ難しとは其れ唯だ無逸か。実甫の才は縦横無碍なり。
暢夫は陽頑、無逸は陰頑、皆人の駕御を受けず、高等の人物なり。実甫は高からざるに非ず、且つ切直人に逼り、度量亦窄し。
然れども自ら人に愛せらるるは潔烈の操、之れを行るに美才を以てし、且つ頑質なきが故なり。之れを要するに、吾れに於いて良薬の利ある、当に此の三人を推すべし。
八十は勇あり智あり、誠実人に過ぐ。所謂、布帛栗米なり、適くとして用ひられざるはなし。
其の才は実甫に及ばず、其の識は暢夫に及ばず、而れども其の人物の完全なる、二子も亦八十に及ばざること遠し。
吾が友肥後の宮部鼎蔵は資性八十と相近し。八十父母に事へて極めて孝、余未だ責むるに国事を持ってすべからざるなり。
子楫は鋭邁俊爽なり。然れども吾れ常に其の退転せんことを惧る。退転の勢一旦萌すことあらば、駟馬もこれに及ばず。
吾れ平生最も愛する所は子楫.無逸なり。無逸は吾れ其の才敏なるを愛し、子楫は吾れ其の気鋭(きえい)なるを愛す。
皆その己れに似たるを愛す、皆吾が過ちなり。無逸の頑は吾れ或いは平にすること能はざらん。是れ其の敬すべき処なり。
子楫は其の頑なし。然れども気自ら恃むべし。且つ子楫は母賢に弟友なり、以て家を託するに足る。
是れ宜しく責むるに国事を以てすべきなり。是れ吾が心赤の語なり、汝切に記せよ。
福原は外優柔に似て而も智を以て之れを足す。子楫の鋭気(えいき)愛すべきに如かず。
然れども其の頑固自ら是とする処は子楫及ばざるなり。
無窮は才あり気あり。一奇男子なり。無逸の識見に及ばざれども、而も之れに勝るに似たり。
無咎は更に二無に及ばず、而れども一味の着実あり、又気魄あり、大節に臨みて、亦苟も生きざるなり。
子徳は満家俗論にして、恐らくは自ら持すること能はざらん。然れどもその正直慷慨未だ必ずしも摩滅せず、則ち亦時ありて発せんのみ。
子大は俗論中に在りて、顧って能く自ら抜く、篤く信ずと謂ふべし。亦些の頑骨あり、愛すべし。
日孜は事に臨みて驚かず、少年中稀覯の男子なり。吾れ屢々之れを試む。
天野は鑒識あり、其の日孜を取ること頗る吾が見に似たるも、子大を取らざるは、則ちこれを信ぜず。
天野は奇識あり、人を視ること虫の如く、其の言語往々吾れをして驚服せしむ。
誠に李卓吾の如きを得て之れを師とせしめば、一世の高人物たらんも、恐らくは遂に自ら是とし、其の非を知らずして死せん。
吾が交友中に於いて暢夫.日孜を除くの外は其の意に当る者なし。噫、奇識なるかな。
嗚呼、世、材なきを憂へず、其の材を用ひざるを患ふ。
大識見大才気の人を待ちて、群材始めて之れが用を為す。
吾が交友中、言ふに足る者なし。
汝の知る所は仙吉.直八.松介.伝之輔.小助.太郎。太郎.松介の才、直八.小助の気、伝之輔の勇敢(ゆうかん)にして事に当る、仙吉の沈静にして志ある、亦皆才と謂ふべし。
然れども大識見大才の如き、恐らくは亦ここに在らず。
天下は大なり、其れ往いて遍く之れを求めよ。

吉田松陰は二度目の野山獄にあって、門下生との交友も行き詰まり状態となった。
江戸では、井伊直弼の指揮する【安政の大獄】が吹き荒れていた。
これを書いていた頃の松陰は孤独であった。唯一、恩師に着いてくるのは入江杉蔵兄弟であった。
この文稿は、松陰が松下村塾の門下生をどのように評価していたかを知る、貴重な文献である。
桂小五郎が、松陰と門下生との交信を断ち切らせたと冒頭にある。
また陽明学についても、すこぶる味あるを覚ゆ年ながらも、陽明学とではないと言っている。
「万々心に当ると」といっている。
一連の門下生評価は、松陰がどのように見ていたかがしれて大変興味深い。
高杉への評価が抜群なのは、松陰死後の活躍を見ても、松陰の人物評価が確かであったと言えるだろう。
【他人の駕御を受けぬ高等の人物】や【新知の暢夫識見・気迫他人及ぶなし】等と松陰の表現は独特で面白い。
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