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【東行前日記】①
【2020/01/28 13:52】 エッセイ
東行前日記

吉田松陰が二度目の野山獄に収監されていたときの、「安政六年5月14日」兄の杉梅太郎が「幕府の召喚命令」を伝えたことがかかれている。
その報は当時「江戸桜田藩邸」にいた、直目付の長井雅楽がわざわざ帰国して、このことを持ち帰って藩に伝えている。
とかく松陰と確執があったと云われる長井雅楽だけに、わざわざ自分が帰国しているのも、「長井が松陰を幕府に売った」と門下生の一部は信じ込んでいたという。
松陰死して二年後の文久元年、長井雅楽は「航海遠略説」を建言し「幕朝関係の一体」を説いて時代の寵児となった。
これが、幕末において外様藩が幕府政治に公然と容喙する端緒となった。

その後に「薩摩藩」も負けじと、幕府政治に関与してくる。
久光の上京がそれである。
そしてその足で江戸に向かい、幕政改革(徳川慶喜に将軍後見職、政事総裁職に松平慶永を登用)を押しつける。
さらに「参勤交代の緩和」となり、以後開国と攘夷を巡る確執を伴いながら、国内政治は混迷と混乱の度を深めてゆくことになる。

五月十四日  午後、家兄伯教至り、東行の事を報じて云はく、「長井雅樂、之れが為め故ら特に國に歸りしなり」と。
薄暮、家兄復た至り、飯田正伯・高杉晋作・尾寺新之允連名の書を致す。
云はく、「幕府有志の官員佐々木信濃守・板倉周防守等、水府及び諸藩の正士の罪を寛くせんことを請ひ、聽かれず、是れに坐して罷免せらる。
今先生幕逮を蒙る。願はくは身を以て國難に代り、且つ懇ろに公武を合體するの議を陳べられなば社稷の大幸なり」と。
家兄の初め至りしときは事未だ確定せず。
乃ち一絶を作る。

密使星馳事若何     密使星馳す事若何(こといかん)
人傳縛我向秦和     人は傳ふ我れを縛して秦に向って和すと。
武關一死寧無日     武關の一死、寧んぞ日なからんや、
何倣屈平投汨羅     何ぞ倣(ならわ)ん屈平汨羅(べきら)に投ずるに。

政府頗る余が幕訊に就き、事の國家に連及せんことを慮る。
余、因って今春正月論建せし所の一條を書し、家兄に託して、之れを長井に致す、附するに一詩を以てす。
   東命執拘我れを致す、行くに期あり、詩もて親戚故舊に別る。謝枋得北行別の詩の韻による

幽囚六歳對燈青     幽囚六歳、燈青に對(むか)ふ、
此際復為關左行     此の際復た關左(かんさ)の行を為す。
枋得縦停旬日食     枋得縦(ほしいまま)に旬日の食を停め、
屈平寧事獨身清     屈平寧んぞ獨り身の清きを事とせしや。
邦家榮辱山如重     邦家の榮辱、山の如く重く、
軀穀存亡塵様輕     軀穀の存亡、塵様(ごと)く輕し。
萬巻於今無寸用     萬巻今に於て寸用なく、
裁嬴大義見分明     裁(わずか)に嬴(あます)大義見て分明なるを。

政府(長州藩・藩府)頗る余が幕尋に就き、事の國家に連及せんことを慮る。

このように、長井が松陰の召喚命令をもって帰国したのは、藩への悪影響(幕府からの嫌疑を蒙る)を恐れていたことが解る。
これは、「安政の大獄」が江戸で吹き荒れていたために、長州藩が連座しないようにとの判断が背後で為されていたことを物語る。
松陰は、この時は勿論、翌月末に桜田の「江戸藩邸」でも、再度、藩の立場を守るよう、評定所の尋問での「想定問答」を確認されたのであった。
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