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「街道文化講座・千代田塾」
【2010/10/27 15:33】 エッセイ
昨日(10月25日)千代田区役所1階「区民ホール」で掲題の文化講演が行われ、松蔭大学の先輩教授と参加してきました。(教授からお誘い頂いた)

演題は、幕末を駆け抜けた男たち「松陰と晋作・龍馬」で講師は作家・萩博物館特別学芸員の一坂太郎先生。
吉田松陰とその門下24.3.25

元々、一坂先生は「東行(高杉晋作)記念館」の学芸員であった方で、高杉晋作とその関連がご専門であり、著書も多数で最近は、講演やテレビ出演などで大忙しの由。今年は大河ドラマ「竜馬伝」の影響などもあり、「龍馬ブーム」である。このドラマでは龍馬は遅咲きの「大器晩成型」として描かれているが、一方の松陰は幼少年時から「神童の誉れ」高い早熟の「志士」である。

龍馬19歳で江戸に剣術修行を志して到着後間もなく「ペリーの来航」に出くわすが、世界認識が不足していて、危機感はない。此れに対して吉田松陰は「軍学者」でもあったことから、国難を鋭く感知。折しも両者は佐久間象山門下であったことから、接触があったように世評いわれるが、史料では確認できない。松陰は龍馬より6歳先輩だが、活動の時代や舞台はオーバーラップしない。松陰の尊攘は西欧近代文明を摂取しない限り、アヘン戦争の如く日本は侵略され「独立国家」として生きられないと認識。これが下田密航事件の遠因となる。
この事件は、吉田松陰を一躍有名にするが、以後「国事犯」として萩に逼塞の生活を送るが、日本への危機感は、本人はもとより、「松下村塾」の門下生を鋭く感化する。松陰の期待し育成した優秀な人物は大半が、明治維新の成就を見ることなく非業の死を遂げるという殉国者となった。
坂本龍馬24.4.6

坂本龍馬が危機感を如実に感じるのは、武市半平太の書簡を託されて「萩」を訪問した時に久坂玄瑞と遭ったときから急転回する。
有名な言葉なので少し長いが紹介しよう。「諸侯恃むに足らず、公卿恃むに足らず、草莽志士糾合の外にはとても策これなき事と、私共同士中、申し合わせ居り候事に御座候。失敬ながら、尊藩(土佐藩)も幣藩(長州藩)も、滅亡しても大義なれば苦しからず。」久坂にこういわれて、此れが「龍馬の志」として大きく飛躍する。国難に対処するには幕藩体制では不可能で、松陰の言う「一人の天下」の実現即ち、天皇を中心とした新日本の再生しか道はないと認識する。

この草莽崛起論こそ、松陰が維新の先覚と言われる所以である。そしてそれが起爆剤となり「松陰の志」は死後実現する。「吾れの尊攘は死生之れを以てす。自ら謂へらく、以て天地に対越すべし。」と叔父の玉木文之進宛てに書いたのが安政6年1月、松陰の死はそれから9ヵ月後であった。そうして、門下生宛てに「留魂録」を遺して「志の継承」を託したのである。

松陰の志は、長州藩のみに留まらず、世界史に引っ張り出される日本が独立を守ることにあった。この「留魂録」の書き出しこそ、万感の思いを込めたものであったろう。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」の後事を託した辞世の句・・・時に、安政6年10月。実に刑死の前日の黄昏に書き上げたのであった。
一方、門弟の高杉晋作に「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」との書簡を与えたのは同年7月であった。
「万巻の書を読むに非ざるよりは寧んぞ千秋の人たるを得ん」と門下生に勉強をすすめ、「松下陋村と雖も、誓って神国の幹とならん」との松陰の志は、見事に受け継がれ、新日本を実現したのである。そうして松陰自身、正真正銘の「不朽の人」となったのであった。
今年は松陰誕生180年である、そして明日(10月27日)が没後151年に当る。
「永遠なれ松陰!」ここに、我々が松陰に学ぶ意義があると思うのである。

同学の講演を聞くのは、また違った味わいや得るところが多く、楽しい一日で帰路の先輩教授との一献のビールが、いつもと一味違って実に美味しかった。
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優しい人は、優しさは美徳かどうかわからないのであって、もしかしたら、卑怯な自分の保身の術かも知れない、と考えることをすすめる。「これでいいということはないのだ」という一言は、残酷すぎるようだが、私は若い人に言いたいのである。人生はいつの一刻をとっても、未完成で、これで完全になった、ということはない。だから、万人にいいと言われる性格も、完全性をうたう全体主義の政治も共にまやかしである。だからと言って、いいことを目指す必要がない、というわけではない。永遠に、完全に到達しない戦いを戦うことこそ、本当の勇者の戦いと言うべきなのである。
【2010/10/28 10:50】 URL | A.S #- [編集]

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