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ペリー来航と松陰②
【2010/11/08 09:24】 エッセイ
嘉永6(1853)年ペリー艦隊が浦賀に来航、砲艦外交によって鎖国維持が出来ず、開国という国策変更を余儀なくされた幕末動乱の幕開けとなる。この報に接した松陰の書簡が全集に収載されているので書いてみます。大変だ!という松陰の受け止め方が深刻であった様子が読み取れます。6月4日と6日の書簡です。今日は、その第一回目です。短文ですが、深刻で「すわ、一大事」の感覚が臨場感を伴って聴こえて来るようです。




瀬能吉次郎宛  六月四日   松陰・瀬能在江戸
瀬能様                                  吉田
浦賀へ異船来りたる由に付き、私只今より夜船にて参り申し候。海陸共に路留(みちどめ)にも相成るべくやの風聞にて、心甚だ急ぎ飛ぶが如し、飛ぶが如し。
六月四日
御國へもし飛脚参り候はば、此の書直様(すぐさま)御さしだし頼み奉り候。左候へば、僕壮健にて英気勃々の様子も相分るべく候。事急ぎ別に手紙認むること能はず。


この書簡は、長州藩江戸藩邸に勤務していた瀬能吉次郎に、浦賀に異船(黒船)が来たというので、大至急浦賀へ行くと、大急ぎにて最小限の言葉で書いた萩(親族)宛ての手紙を兼ねたものである。書き終えてから、自分の健在な近況も追記して、親族を安心させることも記されている。
書いた松陰も「吉田」とのみ記して、名前を割愛している。これを長州行きの飛脚便があれば至急送る様に頼んだことが記されている。松陰の数百通の書簡で最も短文である。手紙よりメモの性格です。
「心甚だ急ぎ飛ぶが如し、飛ぶが如し」との表現が、いかに松陰に強い衝撃を与えたかが読み取れます。「現代風に言えば、居ても立ってもいられない」心のあせりと言ったところでしょうか。
五日(翌日)夜、浦賀に到着して、六日に現地から江戸藩邸に黒船の詳細を書き送っています。それは次回③で書きます。こちらは兵学者の眼で観察した興味ある書簡です。お楽しみに!
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