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ペリー来航と松陰③
【2010/11/08 12:29】 エッセイ
道家龍助宛   六月六日    松陰在浦賀道家在江戸(長州藩邸上屋敷)

僕四日の夜、船を発し候處、甚だ遅し。且つ風潮共に順ならず。五日朝四ツ時漸く品川に到り上陸仕り、夜四ツ時浦賀に着仕り候。今朝高處に登り賊船の様子相窺ひ候處、四艘<二艘は蒸気船、砲二十門餘、船長い四十間許り、二艘はコルベット、砲二十六門、長さ二十四五間許り>陸を離るること十町以内の處に繋泊し、船の間相距(へだた)ること五町程なり。然るに此の方の台場筒数も甚だ寡(すくな)く、徒に切歯のみ。且つ聞く、賊船の方申分には、明後日昼九ツ時迄に願筋の事御免之れなく候へば船砲打出す由、申出たる段相違之れなく候。
黒船2425.10

<船は北アメリカ國に相違之れなく、願筋は昨年より風聞の通りなるべし。然れども國書は御奉行御船へ乗られ候へば出し申すべく、左なく候へば江戸に持ち参るべく申す由。願筋の外のことにては日本より舟をやりても一向に舟に乗せ申さず候。朝夕賊船中にて打砲いたし、禁ずれども聴かず>。佐久間併びに塾生其の外好事の輩多く相会し、議論紛々に御座候。濱田生近澤も参り居り候事。


此の度の事中々容易に相済み申す間敷く、孰れ交兵に及ぶべきか。併し船も砲も敵せず、勝算甚だ少なく候。御奉行其の外下曾禰氏なども夷人の手に首を渡し候よりは切腹仕るべくとて、頻りに寺の掃除申付けられ候。佐久間は慷慨し、事斯に及ぶは知れたこと故、先年より船と砲との事やかましく申したるに聞かれず、今は陸戦にて手詰めの勝負の外手段之れなくとの事なり。何分太平を頼み餘り腹づつみをうちよる事ここに至り、大狼狽の體憐むべし。且つ外夷へ對し面目を失ふの事之れに過ぎず。併し此れにて日本武士一褌(へこ)しめる機会来りし候。賀すべきも亦大なり。
佐久間より江戸へ飛脚を立て候故、此の一書相認め申し候。御國へ別に手紙差出さず候間、玉木文之進迄此の手紙直様御送り下さるべく候。
六月六日                             吉田寅次郎矩方
私事も今少し當地に相止まり、事の様子落着見届け帰る積りなり。
道家龍助様 人々御中
御やしき内瀬能吉次郎・工藤半右衛門へ此の事一寸御聞かせ下さるべく候。

注1:道家龍助=長州藩の砲術家で松陰の友人 注2:コルベット=旧式の中型巡洋艦
注3:近澤=佐久間象山の塾生        注4:下曾禰=砲術家、筒井政憲の子
注5:玉木文之進=松陰の叔父・当時藩の海防局出仕中

この書簡を読むと、流石に兵学家・松陰で黒船観察は正確・詳細を極めているのが分かる。師の佐久間象山(藩主は三卿出身)は以前から幕府に軍艦、大砲の購入意見書を提出していた。それを採用しないで、大慌てに怒っている。砲術家の下曾禰などは、切腹の覚悟で準備の為寺の掃除をさせているのが面白い。松陰は一戦を覚悟している。私は浦賀奉行所跡を訪ね、隣接の高台から松陰が黒船を観察したであろう場所に、暫し佇んで思いを馳せてきた。
   
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