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『幽囚録』
【2010/11/13 08:13】 エッセイ
『幽囚録』
安政元年冬、松陰は萩「野山獄」に収監されていた。ここで松陰最大の論文『幽囚録』が書かれた。これは松陰が佐久間象山の影響を受けつつ抱懐していた國家的時務論であり・・・志士としての松陰を記念する貴重な文献である。(玖村敏雄)
佐久間象山24.3.25

大論文であるので書ききれないため、要所を抜粋してみます。



・・・今は則ち膝を屈し首を低(た)れ、夷の為す所に任(まか)す。國の衰へたる、古より未だ曾て有らざるなり。<以上、自序より>
(略) (象山は)急に江戸に帰り、窃(ひそ)かに建白する所あり。其の門人長岡藩人小林虎三郎△師の説を以て執政某侯の臣に語(つ)ぐ。遂に諸生天下の事を議するの罪を以て藩、國に還し就かしむ。
吾が師平象山は経術深粋なり、尤も心を時務に留む。十年前、藩侯執政たりしとき、外寇の議を上(たてまつ)り、船匠・砲工・舟師・技士を海外より傭(やと)ひ、艦を造り砲を鋳、水戦を操し砲陣を習はんことを論ず。謂(おも)へらく、然らずんば以て外夷を拒絶し國威を振耀(しんよう)するに足らずと。其の後遍く洋書を講究し、専ら砲学を修め、事に遭へば輙(すなは)ち論説する所あり。或は之れを聲詩に発す。話聖東(ワシントン)の事起り、蘭夷の報ずる所を聞けば則ち曰く、「未だ見ず砲台海岸(かいじん)を環らすを、南風四月甚だ心に関る」。(略)象山又復書を持ちて夷國に到らんと欲す、則ち曰く、「微臣別に謀を伐つの策あり、安(いず)くにか風船を得て聖東(ワシントン)に下らん」と。蘭夷に命じて軍艦を致さしむと聞きては大いに喜びて謂へらく、徒に之れを蘭夷に託するは未だ善を尽さず、宜しく俊才巧思の士数十名を撰び、蘭舶に付して海外に出し、其れらをして便宜に従ひ以て艦を購はしむべし、則ち往返の間、海勢を識り、操舟に熟し、且つ萬國の情形を知るを得ん、その益たるや大なりと。因って窃かに建白する所あり。然れども官能く之れを断行しることなし、予が航海の志實に此(ここ)に決す。
野山獄での吉田松陰24.3.25


<大略解説>、佐久間象山の先見性と識見による提唱も実現しなかった。「官よくこれを断行するなし」の表現に松陰の憤怒と憂国の精神が凝縮されて「予が航海の志、ここに決す」と時務論に命懸けで受け止めないことへの反発から、密航は試みられたわけです。成功しなかったが、ペリー艦隊への乗船が実は「刺客」だったとの説を唱えた研究者がいます。
小説なら話は別ですが、佐久間象山から「この挙」、つまり下田密航計画の事情を書くように言われて真剣で書いた松陰の代表的な著作はそのまま受け取って考えるべきと思う。確かに、憤怒の余り瞬時的に「殺意」を抱くことは我々の日常でも感情の事実として湧きあがる事は経験するところである。
上記の史料の文意を次回に書いて見たいと思う。
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