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吉田松陰と儒教②
【2010/11/17 11:44】 エッセイ
我々が儒教を理解するのには、①大学・②論語・③孟子・④中庸・の順で、いわゆる『四書』の勉強のススメがよいと言われる。その意味で『大学』は「儒教入門篇」になるわけである。いずれも、岩波文庫で読む事が出来る。
まず、『大学』の解説の冒頭に解りやすく書かれているので、それを記してみる。



儒教は一般に「修己治人」の教えだといわれる。「己れ自身を修める」道徳説と「人を治める」民衆統治の政治説とを兼ねた教説が、儒教だというわけである。(略)『論語』を読んでも『孟子』を読んでも、儒学思想というものは現実の社会的人間を第一の問題としていて、要するに道徳と政治を中心とする思想である。・・・と記されている。

さらに『大学』こそは、そのことを最も端的に、しかも組織的に、簡単平明な文章で表現した書物であって、『大学』は、儒学思想の概要をとらえるのに最も手ごろな入門書であるという。そうして、『大学』の要点は第一章で明らかにされるのである。「己一身の修養を基盤として天下國家の統治を目ざす」という、「修己」と「冶人」の連携統一が眼目となり、朱子によると「大学の道は」まず「明徳を明らかにする」「民を親しましむる」「至善に止まる」というのが「三綱領」の実践項目であって、大学教育の中心目標であるという。
大学中庸



吉田松陰の生き方は、まるで儒学の中から生れ出でて来たかのような人生であった。彼が幕末にあって、大久保利通と同じ文政十三年生まれであることに、ある種の時代を隔てたイメージを持たせるのはこうした生き方と無関係ではないように思える。もちろん、活動の時代が異なるのであるが、儒学的國家観が「西洋文明」の侵出にとりわけ敏感に反応したのかも知れない。「修己」と「冶人」が不即不離の実践基準とされ、それが敷衍されて①わが身の修養努力による道徳の発揚を目ざし、②万民の親和をはかって世界の平和を実現するというのである。ここから松陰の異常なまでの修養に力点を置いた、人生観が形成されたものと考えられる。それは政治の根本は修身という考えが幼時から教え込まれて、殆ど「体質」に近いものになっているのである。
ここから、さらに『大学』の説くところにしたがって、松陰の思想は純度が高まっていくのである。「親に悦ばるるに道あり、身に反(かえり)みて誠ならざれば親に悦ばれず。身に誠なるに道あり、善に明らかならざれば其の身に誠ならず。是の故に誠は天の道なり、誠を思うは人の道なり」。という孟子の語をそのまま受け入れて「至誠にして動かざる者は未だ之れ在らざるなり」(孟子・離婁章句・上)のことばを座右の銘としたのは将に純度の高い松陰の人生観を物語っている。

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