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吉田松陰と儒教④
【2010/11/19 14:35】 エッセイ
孔子24.4.23
今回は『四書』の「中庸と誠」について書いてみたい。
先ず、「中庸」の第九章に下記のように書かれている。
「凡そ天下國家を為(おさ)むるに、九経(きゅうけい)あり。日わく、身を脩むるなり、賢を尊ぶなり、親を親しむるなり、大臣を敬するなり、群臣を体するなり、庶民を子(慈・いつく)しむなり、百工を来(ねぎら)うなり、遠人を柔ぐるなり、諸侯を懐(なつ)くるなり」。身を脩れば、則ち道立つ・・・。
吉田松陰は、この全てを実践している。前回で松陰のことを「儒教から生まれ出でたる人の如し」と評したが、松陰は、この「九経」をまことに純粋に人生の実践目標としたかの如き生涯を送り、かつ著述も残している。

そして恐らく次の十一章の言っている事は、松陰の信念であったと思われるのである。


「誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なり。誠なる者は、勉めずして中(あた)り、思わずして得、従容として道に中る。聖人なり。これを誠にする者は、善を択びて固くこれを執る者なり。」
誠実という徳を、絶対的な道徳として人間本姓の根拠にしているのである。したがって誠を実現しようとつとめる人は、努力して本当の善を選び出し、その上でそれをしっかり守ってゆく人である。」(大学・中庸203頁)となるわけである。

吉田松陰全集を紐解くと、使用頻度の高い言葉に気がつく。それは「志」・「誠」・「学」であり、これを自分自身に対して実践目標として課していたことがわかる。これを「松下村塾」の門下生にも指導理念ともしたのである。「志をたてて以て万事の源と為す」や「学は人たる所以を学ぶなり」は名言である。さらに「誠」については、文脈の中でいろいろ表現をかえているが、本質的には変らない。「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」や門下生に書き与えた「送叙」の中にも「積誠これを蓄えよ!」などの表現も同様である。

松陰の人生は「人間学」を基本に、「時務論」を語り、実践目標としたと考えられる。最終的には「修己治人」に収斂されるものとしてよく、その儒教的世界観の実現に心血を注いだと考えることも出来るのである。「誠」を原点に「人の道」を説き、そこから敷衍されることの諸相の実現を願っていたのが吉田松陰である。従って吉田松陰の本質は「誠」であると結論付けてもよい。門下生や親族に宛てた書簡には、人としての道を踏もうとする意思が行間に伝わってくる。それも「誠」が原点にあってのことと考えられるのである。
全集に門下生の回顧談(10巻・関係雑纂)が収載されているが、何れも人間性あふれる思い出が語られていて、松陰の人となりの一面を知るのに有益である。
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