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尋常小学校修身書の「吉田松陰」
【2010/06/21 09:40】 エッセイ
今、私の手元に文部省発行「尋常小学校修身書・巻5・児童用」昭和2年12月5日検定済という、小冊子風の国定教科書がある。
この48頁に「第17課・自信」と題して吉田松陰が書かれている。戦前に「吉田松陰」がどのように取り上げられていたかを知る格好の資料とも言えるので、ここに全文を紹介しよう。
児童用修身書

「吉田松陰は長門の人であります。11歳の時、始めて藩主に召し出されて兵書の講釈をいひつけられました。家の人たちはいろいろと氣づかったが、松陰は藩主の前に進み出て大ぜいの家来の列んでゐる中で、少しも臆せず、自分の知っている通りはっきりと講釈したので、藩主をはじめ皆大そう感心しました。
松陰は外国の事情がわかるにつれて、我が國を外国に劣らないやうにするには、全國の人に尊皇愛国の精神を強く吹き込まなければならないと、かたく信じて、一身をさゝげて此の事に盡さうと決心しました。27歳の時、郷里の松本村に松下村塾を開いて、弟子たちに内外の事情を説き、一生けんめいに尊皇愛国の精神を養ふことにつとめました。松陰は至誠を以て人を教へればどんな人でも動かされない者なないと、深く信じて「松本村は片田舎ではあるが此の塾からきっと御國の柱となるやうな人が出る。」と言って弟子たちを励ましました。
松陰が松下村塾を開いていたのは、僅かに二年半であったが、はたして其の弟子の中からりっぱな人物が出て、御國の為に大功をたてました。」
  身はたとひ武蔵の野邊に朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂
※ 筆者注:至誠而不動者未之有也=「孟子」離婁上篇第十二章(岩波文庫33頁)参照

続いて51頁、「第18課・主婦の務」と題して母滝子が書かれている。
滝子は吉田松陰の母であります。松陰の父杉百合之助は松陰が少年の頃までは、家禄ばかりでくらしをたてることが出来ませんでした。そこで滝子はよく夫を助けて、野に出て田畑を耕したり、山に行って薪をとったりして仕事に骨折りました。又よく姑に事へ、子供の養育につとめ、裁縫・洗濯のことから家事一切を一人で引受けて、かひがひしく立働き、馬を飼ふ世話まで自分でしました。滝子は姑を大事にしました。三度の食事には暖いものをすゝめ、衣服は柔いものを着せなどしていたはり、裁縫する時は、喜ばれるやうな話をして聞かせて慰めました。又姑の妹がこの家に世話になってゐたが、或時、重い病気にかゝりました。滝子は久しい間、夜もろくろく寝ずに心から介抱したので、姑は「忙しくて暇のないのに、親類の世話まで親切にしてくれて、誠に有難い。」と言って、涙を流して喜びました。
後、百合之助は藩の役人に取立てられて、城内にうつりましたが、滝子は家に留ってよく家政をとゝのへ、松陰等の養育につとめました。かやうに滝子は夫を助けて勤倹力行したので、家も次第に豊になり、又教育の仕方がよかったため、子供は皆心掛のよい人になりました。中にも松陰は國の為に盡し、たびたび難儀に出會ったが、いつも滝子は我が子を勵まして、尊皇愛国の道に盡させました。松陰が松下村塾を開いてゐた間も、滝子はよく弟子たちをいたはり、又松陰をたづねて来る同志の人々を親切にもてなしました。

※筆者注:幕末、明治の良妻賢母はこの「吉田松陰の母」、「藤田東湖の母」が有名でそれぞれ本が出版されている。明治の母は、やはり「野口英世の母」でしょう。子供を思う母心の模範で、尽し方が尋常ではない。「この人にして、この母あり」は納得。母は偉大なり。

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この記事に対するコメント
子供の個性を見るのは日本人は欧米人に比べ、とても下手なように思えますね。
階級社会ではない日本では「貴族ではなくてもお金さえ払えばグリーン車に乗れる」「どんなに貧しくとも一所懸命努力さえすれば誰でもクラスの一番になれるし、東大にも入れる」と、どの親も思い込んでいます。それは「平等社会」では正しい一面でもあるわけです。しかし、どんな努力をしてもなれない子もいるし、これといった努力をしなくとも簡単になれる子もいます。
あることが出来なくとも、別の事に非常に秀でているかも知れません。
子供の個性を親がどれだけ見つけられるか、がこれからの教育にとっては実は一番大切です。そう云う意味でも吉田松陰は「真の教育者」であったと思います。
【2010/06/29 14:18】 URL | Y.N #- [編集]

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