長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

「狂夫の言」
【2010/11/22 17:12】 エッセイ
安政五年正月六日、松陰は「狂夫の言」と題する時務論を書いた。そこに曰く「天下の大患は、その大患たる所以を知らざるに在り。苟くも大患の大患たる所以を知らば、寧んぞ之れが計を為さざるを得んや。當今天下の亡びんこと己に決す、その患復た此れより大なるものあらんや。」
「天下の大患」とは、自分が病んでいることを自覚していないことにあるのだ!と松陰は言っているのである。何をもって「病」かというと、幕府の当事者能力のことをいっているのである。もっといえば、ペリーの出航を幕府はオランダからの情報で知っていながら、なす術もなく、対策もとらずに、情報も内密にしたまま、徒に時間を浪費してしまっていたのである。そして運命の嘉永6年6月3日の浦賀来航を迎えるのである。



「祖法」=「鎖国」をただ、遵守するだけが政治だとして、現状維持型の発想しか出来なかった「平和ボケ」の為政者。挙句に大慌てで対応策を全国の諸侯から町人に至るまで、対策の建白を乞うという無様な姿。不断の努力を怠っていたツケが、はかなくも露呈しただけのことである。さらに、だらしないことに砲艦外交による脅威に屈して「城下の盟(ちかい)」の屈辱を味わった。腰砕けである。だから「国の衰えたる、未だ曾て在らざらんなり」と松陰は嘆く。松陰にいわせれば、「独立不羈三千年の大日本」の神州のプライドはどこに置き忘れて来てしまったのか?「國家衰亡の姿」に切歯扼腕しているのである。

徳川幕府の政治体制も、藁科松柏が百年近く前に洞察したように、「そろり、そろりと天下の揺るヽ兆しにや御座候」となっていた末のことであった。驚くべき事に、この藁科松柏は33歳で亡くなっている。世の統治が崩壊の兆しを見せている事を鋭く読み取ったのであった。「平和ボケ」への警鐘は、江戸中期にはまだ鳴らせなかっただけに、残念無念。
考えてもみよ! 1776年にはアメリカ独立革命、1789年にはフランス革命が起っている。日本では宝暦、明和の頃であって「竹内式部や山県大弐」の尊王論への弾圧が行われ、その後に悪名高い「田沼時代」へと移行するころである。八戸の「安藤昌益」が『自然真営道』を著して封建的な身分制度を全面的に否定したのが1755年(宝暦5年)であった。

自主的に国家建設や人間の尊厳性を創出する発想や行動のための努力、これが出来ないのが日本である。日本人はよく「オリジナリティ」のない国民で、模倣は達者だと言われる。勤勉だが独創性に乏しいといわれる所以は、現在の国会議員の姿を見てもわかる。吉田松陰が「150年経っても、まだそんなことをしているのか!?」と、「渇!」と黄泉の国から叱っている事だろう。
関連記事
スポンサーサイト
この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kinnhase.blog119.fc2.com/tb.php/71-7dbe1b0f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

検索フォーム ×

RSSリンクの表示 ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム ×

この人とブロともになる


QRコード ×
QR