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講孟余話における「誠」
【2010/11/30 09:34】 エッセイ
離婁章句(上)十二章
孟子曰く、下位に居て上に獲(得)らざれば、民得て治むべからざるなり。上に獲らるるに道あり、友に信ぜられざれば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道あり、親に事えて悦ばれざれば、友に信ぜられず。親に悦ばるるに道あり、身に反みて誠ならざれば親に悦ばれず。身に誠なるに道あり。善に明らかならざれば、其の身に誠ならず。是の故に誠は天の道なり誠を思うは人の道なり。至誠にして動かされざる者は未だこれあらざるなり。誠ならずして未だ能く動かす者はあらざるなり。(岩波文庫『孟子』(下)33頁)
(注)誠を思うは人の道なり=誠を思う、誠〔の徳〕を実現しようと思って努力すること。
孟子24.4.23




吉田松陰の本質は「誠」であると理解してよい。全集には以下のように記述されている。
上記の岩波文庫の記述以下に次のような「注」がある。

此の章は中庸の孔子の言を述べ、誠を思ふを身の修むるの本と為し、善を明らかにするを又誠を思ふの本と為すを見ばす。乃ち子思が曾子より聞く所にして、孟子の子思に受くる所のものなり。亦大学と相表裏す。学者宜しく心を潜むべし。
「孔孟箚記上下」


「講孟余話」の「離婁章句(上)第十二章」
此の章、中庸全部の意を括りて一章とす。亦大学と表裏す。併びに註己に是れを弁ず。而して善に明らかなると、見に誠なると、誠と、誠を思ふとの四項に帰す。善に明らかなるは多く知に於て発明す。書を読み道を思ふ、皆是れに属す。身に誠なるは多く行に於て発明す。仁を行ひ義に由る、皆是れに属す。然れども知は行の本たり。行は知の實たり。二つの者固より相倚りては離れず。誠は知行の自ら誠なるなり。誠を思ふは知行の誠ならんことを思ふなり。此の義、学庸を熟読せば自ら明かなり。今必ずしも贅せず。上章云はく、「道は爾きに在り、事は易くに在り」と云ふもの、此の章に於て益々明かなり。上に獲らるる獲は、上第九章民を得、心を得の得の如し。但だ彼我の差別あるのみ。上に獲らるるは、我が心を上に獲られ上の物となるなり。我れ誠敬を尽し我れ忠貞を致すと云へども、上の信孚を得ること能ざるは、是れ我が心を上に獲られざるなり。我れ誠敬を尽せば、上其の誠敬を信じ、我れ忠貞を致せば、上其の忠貞を信じ、凡そ吾が心を尽す所、上皆是れを信ずれば吾が心皆上の心と流通して、吾が心は上の物となり、上の心は又吾が物となる。上下相得るなり。孫子云ふ所の「衆と相得る」の意なり。是れを上に獲らるると云ふなり。

講談社学術文庫の『講孟箚記』の訳文(近藤啓吾訳注)上巻314頁、を下記する。
「この章は『中庸』全巻の精神を一括して一章としたものといってよく、また『大学』の内容とも表裏一体である。そのことについては朱子の註のうちにすでに説明がある。そしてその内容は「善に明らか」「身に誠」「誠」「誠を思う」という四つの問題に帰着する。善に明らかという問題は、多く知の上で認識することで、書物を読むとか人の人たる道を考えるというのがこれに属する。身に誠という問題は、多く実践によって認識することで、仁を行うとか義によってゆくということが、これに属する。しかしながら、知るということは行うことの本であり、行うということは知ったことが実ったものであって、この両者は、いうまでもなく不離の関係にある。誠とは、その知と行とが、意志を用いずして自然に誠そのものであるということであり、誠を思うとは、その知と行とが誠でありたいと思うことである。この問題は『大学』『中庸』を熟読するならば、自然に明瞭になるので、今ここにこれ以上は述べない。前の第十一章に「道は爾(ちか)きに在り、しかもこれを遠きに求む。事は易きに在り、しかもこれを難きに求む」とあるが、その意味は、この章を読むことにより、ますます明確になる。また「下位に居りて上に獲ざれられば、民得て治む可からず。とあるが、その獲という字の意味は、第九章に見えた「民を得」「心を得」の得の字と同様であるが、ただ、彼我の差、すなわちこの章は民に獲られる、かの章は自分が得る、という違いがあるだけである。上に獲られるというのは、自分の心を主君に獲られ主君のものとなるということである。自分が誠意と敬意とを尽し、自分が忠義と節義とを捧げても、なお主君から信頼されることが出来ないならば、これが、わが心を上に獲られないということなのである。自分が誠意と敬意を尽したならば、主君がその誠意と敬意とを信じて下さり、自分が忠義と節義とを捧げたならば、主君がその忠義と節義とを信じて下さり、凡そ自分が心の限りを尽すのに対し、主君がそれをみな信じてくださるならば、自分の心がみな主君の心と一つに通い合って、自分の心は主君のものとなり、主君の心はまた自分のものとなり、かくして上下相得ることになる。これが孫子のいっている「衆と相得る」ということである。このことを上に獲られるというのである。」
講孟箚記24.5.15


上記のように、吉田松陰おいて『孟子』は殆んど信仰に近い心の支え、学びの対象であって、『誠』を主君に捧げ尽くすことにより、武士としての『道』が貫かれるのである。
ただ残念なのは、松陰にとっては、これほどの『誠』も現実の前には実践し切れなかった。主君への『誠』、君恩への『誠』を実践することは常に心掛けながらも、「過所手形」の発行を俟たずに東北遊学に出発してしまったり、主君の温情で実現した「江戸再遊学」もペリーの来航によって貫ききれなかった。『誠』を現実に貫く事の難しさを思わざるを得ない。松陰の生涯を貫いたものは、『誠』を貫こうとした思いや努力は大変なものがあったといえる。それゆえに、松陰に学ぶ態度は『至誠と実践』を忘れない生き方であって、その上に義を実践する勇気に思いを致すことが肝要である。これらは正しく『志』なのである。このことからして、松陰の本質は『志』『誠』『学』『義』を実践追求しようとする人間性に求めなければならない。ここに松陰の普遍性や、真剣な生き方を見い出だすべきであると考えられるのである。今日は、長い記事になりましたが、とりわけ大切な部分なので敢えて書きました。
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