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吉田松陰の『草莽崛起論』
【2010/12/28 09:20】 エッセイ
(1)「草莽崛起論」とは何か?
  草莽 = 在野、民間、草叢の意味。転じて「官に仕えないで民間に在る人」
崛起 = 急に聳え立つ。起ち上がる。
草莽崛起の人 = 在野から奮い立ち、尊皇攘夷の「志」ある人。

(2)安政6年4月7日、佐久間象山の甥「北山安世」宛書簡(在、野山獄)
 「独立不羈三千年来の大日本、一朝人の羈縛を受くること、血性ある者視るに偲ぶべけんや。那波列翁を起してフレーヘードを唱へねば腹悶医し難し。僕固より其の成すべからざるは知れども、昨年以来微力相応に粉骨砕身すれど一も裨益なし。徒らに岸獄に座するを得るのみ。・・・今の幕府も諸侯も最早粋人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼みなし。」

吉田松陰画像2012.3.30


<大意訳>
  (外国通の北山に対して)三千年このかた独立を守り抜き、外国からの支配を受けたためしのない大日本が、ある日突然外国の支配を受ける事を、血気盛んな者は平然と見ていることができようか。
ナポレオン


ナポレオンが決起したように、独立国の自由を勝ち取らねば胸中の苦悩を解消出来そうもない。獄中にいる自分には実行できないが、昨年以来、力の限り尽くそうと模索しているが収監中どうしようもない。国や藩の為政者は酔っ払いのごとくでなす術なしだ。この難局打開は、幕府や藩の官途に就いている者でなく、在野の「尊皇攘夷」の志を持った人(志士)しか出来ないだろう。

(3)安政6年4月・松下村塾の門下生 野村和作宛書簡・数通(野村在岩倉獄)
  草莽崛起の論ご同心下され、是れよりは相共に精心刻苦して学問すべし。・・・義卿が崛起の人なり。放囚さえすれば、義卿は一人にても遣るなりと云へば粗暴に聞ゆれど、夫れは志なり。・・・何ぞ崛起、人を他に求めんや。・・・いづれ尊攘の為に死んで差し上ぐるなり。義卿、義を知る、時を待つの人に非ず。草莽崛起、豈に他人の力を仮らんや。恐れながら、天朝も幕府・吾が藩も入らぬ、只だ六尺の微躯が入用。・・・
<大意訳>
  私の草莽崛起論に賛成してくれ、今後は共に苦労を覚悟で実現に励もう。私一人でも立ち上がる。出獄さえすれば私は一人でもやる。それが私の志だ。命懸けでもやる。官途の役人をを頼っていたのでは時勢観望になってしまう。朝廷や幕府・藩も役立たずで不要、尊皇攘夷の「志」を持った人間のみが必要なのだ。
(以上、吉田松陰全集より抜粋)


(4)この二通の書簡に松陰の尊攘(日本の独立念願)に懸ける強い思いがある。西欧の近代軍備に恐れ慄いて我が身を惜しむような官僚(朝廷や幕府・藩)への不信(和親条約への態度・城下の盟を意味)が、革命的扇動者(徳富蘇峰・吉田松陰・明治26年著)と看做された所以である。しかし、官僚的な「志」を持たない人間達では日本の独立をまっとう出来ないという、松陰の嘆きとも絶望に近い叫びを読み取るべきだ。

(5)江戸期の武士は支配階級(山鹿素行の言う士道論)ではあっても、その責を果たす覚悟と実行力が怪しい。「志を立てて以て万事の源と為す」(士規七則)とする松陰の世界観、人生観からは首肯出来ない。内政のみで外交能力は期待出来ない。国政を果たし得る為には、我が命を惜しんでいるようでは駄目である。世界を洞察して戦略を立てるべきだ。と松陰はいうのである。

(6)西欧列強に国家的対応が出来るのは「志」ある人物が必要である。山鹿流兵学の士道論も無用の長物? 幕藩体制のシステムの限界。⇒ 統一中央集権的国家の創出で対応すべし。古代からの日本の歴史を紐解けば、「君臣の儀を講ぜざること六百年」即ち武士が政権を縦(ほしいまま)にしているのは、日本の正しい姿ではない。(松陰の尊王論の根拠)

(7)草莽崛起の実践者としての吉田松陰(安政5年後半)
  ① 水野忠央襲撃策(紀州藩付家老・将軍継嗣)安政5.9.9、門下生松浦松洞へ
② 大原重徳西下策(勤皇公卿を長州藩の重役に面会⇒大原卿に寄せる書、安政5.9.28)
③ 伏見獄破壊指示 (大獄で逮捕された梅田雲濱の救出、門下生赤根武人へ、5.10.8)
④ 間部詮勝要撃策  (大獄の指揮者暗殺計画、門下生17人、安政5.11)
これら、一連の企ては、将軍継嗣問題、戊午の蜜勅との絡みである。
そして、「寅次郎の学術、人心を動揺さす(周布政之助)」⇒ 野山再獄(安政5年12月)⇒ 松陰の松下村塾閉鎖へ。

(8)高杉晋作の問いに答えて(安政6年7月)
  問い(高杉)=丈夫、死すべきところ如何?
  応答(松陰)=生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。


(9)処刑前日に書き上げた『留魂録』で門下生へ託す。(肉体は滅んでも、精紳は不滅)
<松陰の七生説>

※ 心なることの種々かき置きぬ思ひ残せることなかりけり
※ 討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷攘へよ
※ 七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや。
(10月26日黄昏書す)二十一回猛士)

この歌は、『留魂録』(門下生への遺書)の最末尾に書かれたうちの三部である。
この翌日、「評定所で、死罪申付くる」の判決文読み聞かせの後、小伝馬牢にて御前10時頃とも、正午頃に処刑が執行させられた。

(9)留魂録と松陰精紳の継承 ⇒ 草莽崛起論 ⇒ 奇兵隊創設(元治元年)と高杉の割拠論 ⇒ 第二次長州征伐の勝利。訓練した軍隊 ⇒ 近代兵器の活用と戦闘能力の高さを証明して、討幕へと導いたのであった。

吉田松陰 ⇒ 高杉晋作 ⇒ 大村益次郎 ⇒ 山県有朋 ⇒ 桂太郎 ⇒ 
寺内正毅 ⇒ 田中義一 と日本陸軍の長州人脈として、大東亜戦争の軍部指導者を
多数輩出したのであった。(上記人物中、高杉と山県は松下村塾の門下生)とりわけ、
山県有朋の日本陸軍創設期の功績は大きく、薩摩出身の西郷隆盛(日本で最初の陸軍
大将)の「西南の役」での総司令官をつとめた山県有朋の政府軍の勝利は、明治5年
の徴兵令の成功を裏付ける象徴的な出来事であった。

一方、政治家の系列は 
吉田松陰 ⇒ 桂小五郎(木戸孝允) ⇒ 伊藤博文へと受け継がれ、明治維新後に
おける有司専制の長州閥へと連なる。(通称5大臣)以下は、全て松下村塾の門下生。
伊藤博文(総理大臣)、山県有朋、山田顕義、品川彌二郎、野村和作(靖)の5人であ
るが、太政官時代の参議、木戸孝允を加えると松陰人脈から6人となる。なお、今日
まで長州系の内閣総理大臣は以下の9名である。伊藤博文・山県有朋・桂太郎・寺内
正毅・田中義一(以上、戦前)そして戦後は岸信介・佐藤栄作・安倍晋太郎・菅直人
を輩出したのである。

このほか、産業界、教育界、地方官にも幾多の人材を輩出し、松陰精紳とりわけ『草
莽崛起論』の意味は、近世から近代への変革期にあって日本が侵略の危機を克服し、
独立近代国家の達成へ大きな影響を与えたといわれ、松陰が「維新の先覚」とか「維
新の精神的支柱」として「松下村塾の指導者・教育者としての功績」とともに不朽の
名を残すことになった。
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