長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

「寡欲録」(未焚稿) 
【2011/04/09 15:46】 エッセイ
この「寡欲録」(全集第1巻・210頁収載)は、松陰の「山鹿流兵学修業」時代に書かれたものである。 弘化4年(1847)、18歳の作で、儒学を相当に学んでいたのがわかる。
後年「学は人たる所以を知るなり」と言っているが、これはそれを裏付けるものである。
人間についての二十歳未満の洞察は、秀才ぶりが読み取れるのである。
まず、原文を示そう。
寡欲録



孟子曰く、「心を養ふは寡欲より善きはなし」と。周子曰く、「これを寡くして以て無に至る」と。孟・周の言、学者に於て尤も切なりと為す。故に余因って物欲の陥り易く悔い難きものを雑録して自ら勉む。凡そ欲の陥り易くして悔い難きものは、多く忽せにする所にあり。詩文書画凡百の玩好、皆是れなり。他の物欲に至りはこれより甚しきものと雖も、陥り難くして悔い易し。何となれば則ち外憚る所あり。夫れ忽せにする所のものは、これに臨みて戒めず、故に陥り易し。之れに居りて疑はず、故に悔い難し。然れども隠々の害、其の間に伏る、慎まざるべけんや。是れ余の是の録ある所以なり。
書生、詩人を以て、自ら名づけ又自ら以て俗輩と同じからずと為して、漸く不遜の心を養成す。吾れの自ら処るは当に学者を以てすべし。謂う所の学なるものは読書、作詩の謂に
非ず、身の職を尽して世用に供するのみ。又当に武士を以てすべし。謂う所の武なるものは粗暴の謂に非ず、君に事へて生を懐はざるのみ。
自ら以て俗輩と同じかるべからざると為すは是なり。蓋し傲慢と奮激との分なり。
昔董仲舒、園を窺はず、孫敬常に戸を閉ざす。古の人、其の学に於けるや、勤勉刻苦
率ねかくの如し。猶ほ何ぞ花に吟じ月に酔ひて風人の態をなすに暇あらんや


松陰は、この頃、後見人の援助を受けて、藩校である明倫館において家学(山鹿流)を講じていた。山鹿流自体が「士道論」であり、人間学的要素をふんだんに持っていた。それは前提として朱子学の流れにあって、それを批判した解釈故に、山鹿素行は幕府から譴責を蒙るのである。「配所残筆」はその流謫中に書かれた。播州赤穂・浅野家がそれである。
「吾れの自ら処るは当に学者を以てすべし」と自分の志を明確にしている。後年、「志を立てて以て万事の源と為す」との名言を残すが、学問への「志」を立てて、己に厳しく生活を律することを課した姿が読み取れる。「孟子」を幼児から勉強させられたので、その成果であると見ることもできる。「孟子」の「寡欲説」や「周子」の「無欲説」が、自分に思い当るところがあったようだ。
天保元年生まれであるが、少し後輩の福澤諭吉や大隈重信らに比べると一時代前の人物のような印象がある。幕末の早い時期である安政年間に生涯を閉じてしまったこともあるかもしれない。儒学の申し子のような人生観が培われていくのが目に見えるようである。
関連記事
スポンサーサイト
この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kinnhase.blog119.fc2.com/tb.php/92-85575670
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

検索フォーム ×

RSSリンクの表示 ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム ×

この人とブロともになる


QRコード ×
QR