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吉田松陰全集について②
【2011/04/11 16:10】 エッセイ
(2)、普及版(岩波書店)

「刊行の辞」

吉田松陰先生は時代を超えていつまでも皇國臣民の行くべき道を指示する英霊的存在である。その精神規気魄は継て起る後輩の血脈に鼓動して永劫に死せず、其の思想信念は繹ぬる者の胸奥に息吹して萬世に滅びない。當時維新回天の偉業を翼賛し奉つた防長の才俊が、其の膝下に學んで躍々たる生命力を育まれた如く、今日新しき世界史の展開を完遂すべき一億臣民は、其の精神に参入して逞しき雄魂を涵養しなければならぬ。此の意味に於て、先生の遺著はまさに國民の書、特に青年の書たるべきものである。襄に本會が吉田松陰全集っを公刊するや、十巻六千頁の厖大且つ難解の書籍たるにも拘らず、絶大なる讃辞と歓迎とを蒙り、忽ちにして肆上に其の影を没するに至つたことは、以て先生の偉大さと江湖鑽仰の熾烈里を證するものと謂ふべく、刊行の事に當つた本會としても誠に欣快に堪へざる所である。

然るに前の全集は其の大部分が漢文であり、文中又漢土の典據故事を引用せる語句多きが為めに、一般人士としては訓讀の困難を歎ずることが尠くない。
かくては折角の金玉の大文字も、一部の學者有識者に獨占せられて、其の内に含蓄抱擁する燦然たる光鋩を遍く後世に発揚するに由なく、舊全集の荷へる眞價と意義とは自ら別として、亦聊か憾みなきを得ざる次第である。
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本會は茲に鑑みる所あり、定本としての、舊全集と並行して、別に普及版全集の発刊を企圖し、前の全集編纂委員廣瀬・玖村両先生に重ねて之が編纂を委嘱し、更に西川先生の協力を謂うて、共に其の快諾を得たのである。乃ち本全集に於ては、漢文は凡て國文に書流し、和文も讀み易きに従って送假名、句讀點等を加へ、必要の箇所には簡明なる註解を施す等、訓讀の平易化を圖り、以て内容形式共に國民の書としての普及版吉田松陰全集全十二巻の完成をみるに至つた。其の出版発賣に関する一切の事務は前回と同じく岩波書店の奉仕的盡力によるものである。

斯くて松陰先生は其の死せず滅びざる永遠思想精神を我が國民の前に遍く露呈したのである。時恰も皇紀二千六百年、肇國の大理想を高く掲げて、我が國は今曠古の時艱と戦ひつつある。本全集の完成が圖らずも此の意義深き時期に際會したことは、果して単なる偶然であろうか、抑々先生在天の威霊の然らしむる所か、吾等ひとしほの感激を禁じ得ざる所以である。
昭和十五年年一月

山口縣教育會

※ 昭和九年刊行の「定本版・全集」は、全国に散在していた資料を、時間と労作を惜しまず企画から刊行まで実に五年の歳月を要した。編集方針から企画まで、万全を期し、歳月をかけて蒐集し、編纂した完成度の高いものであった。ほぼ完璧を期すとあったように、各資料に校合済との印がある位であるから、相当に慎重に、綿密に編纂されたものであった。

ところが、この普及版の刊行の辞にあるように、漢文を國文に書流し、訓讀の平易化を圖った。それを果たすために僅か六年後に再度の刊行を行ったのである。

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