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吉田松陰自賛肖像
【2011/04/11 19:51】 エッセイ
吉田松陰自賛肖像
(全集第九巻収載:東行前日記:543頁)

有名な松陰の肖像画が描かれた掛け軸である。松陰と云えば、この貌を思い浮かべる人が多いだろう。
安政六年(1859)五月、松陰に江戸送りの命令が下された。門下生「久坂玄瑞」の発議によって松浦松洞によって松陰の肖像を描かせたものに、松陰自身が「賛」を書いた。

現在七枚が残されている。最初の保持(贈り先宛名あり)した家に因んで①吉田家本②杉家本③品川家本④岡部家本⑤中谷家本⑥久坂家本⑦福川家は賛のみで跋なし。が描かれた。(中谷家本の「跋」に予人の為に此の賛を書す。凡そ七通。今すでに之れを厭う。賓卿(中谷正亮)復たもって見んことを迫る。嗚呼、賓卿我れにおいて最旧(の友)なり。それ辞すべけんや。将に之れを発せんとするの前夕(五月二十四日二十一回猛士寅書)と書かれているので、それがわかる。)因みに最初に書いた吉田家本が五月十六日であるから、九日かけて書いたことになる。

原文を下記する。
松陰 松陰2




十六日 朝、肖像の自賛を創る。像は松洞の寫す所、これに賛するは士毅(小田村伊之助・松陰の妹婿)の言に従ふなり。

三分 盧を出づ、諸葛 已んぬるかな、
一身 洛に入る、賈彪 安くに在りや。
心は貫高を師とするも、而も素より立つる名無く、
志は魯連を仰ぐも、 遂に難を釈くの才に乏し。
読書 功無し、 朴學三十年、
滅賊 計を失す、 猛気二十一回。
人は狂頑と譏り、 郷党 衆く容れず、
見は家國に許し、死生 吾久しく斉うせり。
至誠にして動かざるは、古より未だ之れ有らず、
古人 及び難きも、聖賢 敢へて追陪せん。 

これを解釈すると、
天下三分の計を図り草廬から出仕したという、諸葛孔明はもはやこの世になく、
党禁を訴えるため、一身で都に入ったという、あの賈彪は何処にいるというのか。
私の心はあの壮士の貫高を師としているが、元来世間に立てる程の名声は無く、
私の志は斉の魯仲連を尊敬しているが、結局は難事を解決する才に乏しい。
読書もその効果がなく、学問に従って三十年になりながら、
外夷を滅ぼそうとの企ても失敗した ー 勇猛心を二十一回振り起そうとしたのに。
世の人は私を頑固者と非難して、邑人は多く私を受け容れてくれないが、
吾が命は國家に捧げており、死ぬにしろ、生きるにしろ忠誠を尽くす心にかわりはない。
至誠を尽くせば心を動かさない者は、古来一人もいないと、孟子は言ったが
諸葛孔明などの俊傑ほどには及ばないまでも、聖賢が求めたものを精一杯追慕したい。


以上が「賛」といわれるもので、画に題して画面中に書く詩・歌・文を云うが、自分で書いたので「自賛」となるのである。(以上、吉田松陰撰集より抜粋)

有名なこの松陰の画像の上に書かれている文であるが、この「賛」のほかに「跋」が書かれている。これは、贈る人物を想定した文言で、松陰の自賛画像には右側に「賛」が書かれ、七通ともほぼ同文である。しかし、「跋」は上記のように、個人的な「贈り言葉」が書かれているので、それぞれ文が異なるのである。
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この記事に対するコメント
坂本様
松風会とのコンタクトがとれ、機関誌の手配と「維新の先覚.吉田松陰」購入の記事、大変うれしく拝読。必ず謎解きが成就すると思います。私は汐見駅前の会社に長年勤務しましたので、浦安は身近な感覚です。船橋も友人との関係から「船橋三田会」(慶應のOBの会)で二度招かれて、松陰と福沢諭吉の講演をしたことがあります。いつかお会いして、四方山話をお願いしたいものです。私は、埼京線の与野本町駅近くに在住です。ですから、厚木の大学までは3時間くらいの所要時間。小旅行を毎週やっているようなものです。64歳の定年後の人生です。毎日、松陰と格闘しております。難攻不落の城攻めではありませんが、松陰研究の第一人者の海原先生も、著書の「あとがき」で、これに近いような述懐をしています。
【2011/04/19 00:39】 URL | 長谷川勤 #- [編集]
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長谷川先生

お世話になっております。
吉田松陰先生に関する本当に研究熱心なお方ですね。頭が下がります。
さて、まずご紹介いただきました、維新の先覚「吉田松陰」(山口県教育会編)を注文しました。それを読み、再度謎解きに挑戦します。ある程度、理解した上でもしそちらがお手隙であれば、一度、お会いしご教授下さい。私は、千葉県浦安市在住のものです。それとご紹介いただきました松風会の件、早速会報をお送りしていただけることになりました。ありがとうございました。引き続き、よろしくお願いいたします。
【2011/04/18 14:30】 URL | 坂本 #- [編集]
坂本様
お答えが送れました。すみません。
賛の文言は吉田家本と同じものは無いようです。懐に脇差を刺している画は久坂本以外はさしています。右上と文末の後の押印は、中谷本も同じですが、賛の文言が異なります。跋文の一行目が吉田家本と杉家本とでは少し違います。それと、吉田家本は、着流しの胡坐スタイルが特徴です(これは吉田家ほんのみ)。、杉家本は正装で正座です(他の本も同じです)。跋文で、吉田家本の最初の行と杉家本ではかなり異なっています。一度お会いして確認するか、さもなくば維新の先覚「吉田松陰」(山口県教育会編)を購入して、確認すると謎が解けるかもしれません。私のブログに書いた、跋文を参照して、点検してもなお、合点がいかぬ場合は、御面倒でも再度コメントに書いてください。私は埼玉県の在住。埼京線で新宿までなら40分で行けます。どうしてもの時は、連絡先を開示してお会いしましょう。
【2011/04/17 21:54】 URL | 長谷川勤 #- [編集]
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長谷川先生

お世話になっております。
ご紹介いただきました松風会殿の件、早速メールをいたしました。ありがとうございます。

それと厚かましい限りですが、小生の所有する自賛画の画像を長谷川先生にお送りすることも可能ですし、また何かの際に東京の方に来られた時にでも現物をお見せしても結構です。その際はおっしゃってください。

小生の長年の謎解きをしたいものです。もし、お手隙であれば、お知恵を拝借ください。

よろしくお願いいたします。
【2011/04/15 01:33】 URL | 坂本 #- [編集]
坂本様が、記述してくれたURLを開いてみました。仰しゃる通り、「福川家本」です。ここに、明瞭に説明書きがある通りです。情報ありがとうございました。私も勉強になりました。ありがとうございました。うれしく思います。23.4.14長谷川勤拝
【2011/04/14 19:38】 URL | 長谷川勤 #- [編集]
坂本様
福川家本については、遺族の「福川のう子」氏が萩市立明倫小学校に寄付し、現在(昭和61年時点)は萩市の松陰遺墨展示館(現在は至誠館と名称が変更)に保管されている。と松門に書いてありますので、その後も引き続いて、松陰神社境内にある「至誠館」(旧遺墨館)に保存されていると思います。
また、私からの提案ですが、松陰のことを勉強なさるのでしたら、財団法人松風会の理事をされている「室謙司先生」あてにメールで、「松門」を読みたい旨もうしこんでもよいと思います。長谷川の名前を出してもらってもよいですよ。私は、この先生に大変お世話になりました。このご縁から私はこの「松門」に寄稿したことがあります。無料で送ってくれるかもしれません。年1回の発行です。現在の直近は第40号ですが、私の寄稿文は39号に載っています。ご参考まで。今後ともよろしくお願いいたします。
【2011/04/14 19:26】 URL | 長谷川勤 #- [編集]
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長谷川さん

いろいろとありがとうございます。
確認になります。
福川本というのは、萩博物館にある

http://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=141107

のことを言っていますか。
なぞは深まる一方です。ご教授下さい。
【2011/04/14 10:49】 URL | 坂本 #- [編集]
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いろいろと専門的な情報を拝受いただきありがとうございます。

さて、小生手持ちの吉田松陰像(自賛)をみると、
漢文の内容が山口県文書館にある吉田家本と同一です。しかしながら、違う部分は、肖像画のところで、吉田家本は脇刀は床に置いてあるのに対し、私のものは、懐に差しています。左下の吉田松陰の朱肉の感じと右上の朱肉の感じはまったく同じです。
大きな違いは、肖像画が着色されていません。

なお、桐箱などは一切ない状態です。また、購入したものでもありません。これはコピーなんでしょうか。
よろしくお願いします。

【2011/04/13 21:05】 URL | 坂本 #- [編集]
坂本様
松浦無窮に書き与えた自賛画像は、その「跋」に以下のように書かれていると著者の福本椿水氏は言っています。その跋文を下記します。
吾友無窮、畫家、慷慨有志、反乃隠於畫、好縦吾黨遊、其跋渉天下毎遇、奇人偉士必貌其面去、前年己貌清狂、清狂逝稼矣、今吾将往、復来獄貌吾、吾果善終、此像當與清狂並傳矣、此像連作数本、此係其家蔵其用意盖過于他幅可知也。
 右は現今長崎市豊後町田邊啓蔵氏所蔵(吉田松陰之殉国教育:921頁)と書いてあります。
お手持ちの跋文の照合をされ、合致すれば、福本説は正しく、松浦家本と言うことになります。推定ですが、この跋文は他の7幅のと内容が異なるかもしれません。なぜなら、「清狂」の肖像画を畫いたのも、松洞だからです。信憑性は高い文章と判断されます。お手持ちのが福川本か杉家本科かの判断は賛でなく跋を読まれて判断がよいとおもいます。杉家本の跋は、「吾己未五月吾執拘送関左友馬角羝乳帰期無定」で書き始まっています。印は朱肉っぽいですが精度の高い複製畫ですので判明できません。ただ本物に汚れ具合までそっくりに描かれています。購入された時に、縦長の桐の箱に「吉田松陰自賛肖像」と書かれていましたでしょうか。いずれにしても、複製か本物かに拘るのは、美術工芸品的な、市場価格による価値判断だと思います。各肖像画は所在がつかめているようです。
私の住む埼玉県の川口市に中谷家本を所蔵している熊沢善三郎さんという方がおります。これは中谷正亮の甥が桂太郎総理でした関係から所蔵者の変遷があるようです。
【2011/04/13 14:02】 URL | 長谷川勤 #- [編集]
 
恐れ入ります。ご連絡ありがとうございます。
お持ちの杉家本というのはどんな感じのものでしょうか。吉田松陰肖像(自賛)の最後の吉田松陰の捺印が朱肉ですか。さて、なぜそのようなお話しをしたかというのは、実は、私の手元にも同じようなものがあります。これが杉家本の複製か不明である福川本か松浦本のどちらか長年考えています。しかしながら、吉田本のように長年改修されたものではなく、着色もされていないものです。もしかして偽者かもしれません。ということご存知かご相談いたしました。
【2011/04/13 12:07】 URL | 坂本 #- [編集]
コメントありがとうございます。大変詳しい方ですね。自賛画像の7枚目は、福川犀之助本だと思います。私が7枚の説を採ったのは、「中谷家本」の「跋」に書かれていることによります。。
ただし福川家本は、これは賛だけで肖像画は描かれてないようです。出典は昭和61年発刊の「松門」(財団法人.松風会の機関誌)第3号によります。確かに「松浦家本」もあるようですが、私は見ていません。しかし、この機関誌の同文中にこんな文言があります。福本椿水著の「吉田松陰之殉国教育」(昭和8年、神田.誠文堂刊行)には松浦松洞が貰ったものが長崎市豊後町の田辺啓蔵氏に所蔵されているとあります。これは安藤紀一氏も書いているが現在は不明であると書かれています。微妙なところです。余分なことかもしれませんが、私は「杉家本」の複製を所持しています。販売の情報を得て、小泉内閣の文部科学大臣にお願いしたら販売元がわかり、5年前に購入しました。数量限定で私が残り6幅しかない時でした。あるシンポジウムで萩市の野村市長が「最近、松陰先生の自賛肖像画を購入したい人がいるので、購入先を調べて欲しい」と依頼されたといってました。「その人は、私です」と答えたら、満座の空気が急になごんだことがあります。
【2011/04/13 11:03】 URL | 長谷川勤 #- [編集]
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吉田松陰像(自賛)のプログをたまたま拝見しました。これは7枚保存されていると書かれていますが、7枚目は最近発見されたのでしょうか。実際は、8枚あると聞いています。7枚目は、福川本、松浦本、どちらでしょうか。ご教授下さい。よろしくお願いします。
【2011/04/12 23:26】 URL | 坂本 #- [編集]

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